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2017年 06月 26日

ローマ 9

ローマ 9:1 私はキリストにあって真《しん》実《じつ》を言《い》い、偽《いつわ》りを言《い》いません。次《つぎ》のことは、私の良《りょう》心《しん》も、聖《せい》霊《れい》によってあかししています。
ローマ 9:2 私には大《おお》きな悲《かな》しみがあり、私の心《こころ》には絶《た》えず痛《いた》みがあります。
ローマ 9:3 もしできることなら、私の同《どう》胞《ほう》、肉《にく》による同《どう》国《こく》人《じん》のために、この私がキリストから引《ひ》き離《はな》されて、のろわれた者《もの》となることさえ願《ねが》いたいのです。
ローマ 9:4 彼《かれ》らはイスラエル人《じん》です。子《こ》とされることも、栄《えい》光《こう》も、契《けい》約《やく》も、律《りっ》法《ぽう》を与《あた》えられることも、礼《れい》拝《はい》も、約《やく》束《そく》も彼《かれ》らのものです。
ローマ 9:5 父《ふ》祖《そ》たちも彼《かれ》らのものです。またキリストも、人《ひと》としては彼《かれ》らから出《で》られたのです。このキリストは万《ばん》物《ぶつ》の上《うえ》にあり、とこしえにほめたたえられる神《かみ》です。アーメン。
ローマ 9:6 しかし、神《かみ》のみことばが無《む》効《こう》になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出《で》る者《もの》がみな、イスラエルなのではなく、
ローマ 9:7 アブラハムから出《で》たからといって、すべてが子《こ》どもなのではなく、「イサクから出《で》る者《もの》があなたの子《し》孫《そん》と呼《よ》ばれる」のだからです。
ローマ 9:8 すなわち、肉《にく》の子《こ》どもがそのまま神《かみ》の子《こ》どもではなく、約《やく》束《そく》の子《こ》どもが子《し》孫《そん》とみなされるのです。
ローマ 9:9 約《やく》束《そく》のみことばはこうです。「私は来《らい》年《ねん》の今《いま》ごろ来《き》ます。そして、サラは男《おとこ》の子《こ》を産《う》みます。」
ローマ 9:10 このことだけでなく、私たちの父《ちち》イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。
ローマ 9:11 その子《こ》どもたちは、まだ生《う》まれてもおらず、善《ぜん》も悪《あく》も行《おこな》わないうちに、神《かみ》の選《えら》びの計《けい》画《かく》の確《たし》かさが、行《おこな》いにはよらず、召《め》してくださる方《かた》によるようにと、
ローマ 9:12 「兄《あに》は弟《おとうと》に仕《つか》える」と彼《かの》女《じょ》に告《つ》げられたのです。
ローマ 9:13 「わたしはヤコブを愛《あい》し、エサウを憎《にく》んだ」と書《か》いてあるとおりです。
ローマ 9:14 それでは、どういうことになりますか。神《かみ》に不《ふ》正《せい》があるのですか。絶《ぜっ》対《たい》にそんなことはありません。
ローマ 9:15 神《かみ》はモーセに、「わたしは自《じ》分《ぶん》のあわれむ者《もの》をあわれみ、自《じ》分《ぶん》のいつくしむ者《もの》をいつくしむ」と言《い》われました。
ローマ 9:16 したがって、事《こと》は人《にん》間《げん》の願《ねが》いや努《ど》力《りょく》によるのではなく、あわれんでくださる神《かみ》によるのです。
ローマ 9:17 聖《せい》書《しょ》はパロに、「わたしがあなたを立《た》てたのは、あなたにおいてわたしの力《ちから》を示《しめ》し、わたしの名《な》を全《ぜん》世《せ》界《かい》に告《つ》げ知《し》らせるためである」と言《い》っています。
ローマ 9:18 こういうわけで、神《かみ》は、人《ひと》をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。
ローマ 9:19 すると、あなたはこう言《い》うでしょう。「それなのになぜ、神《かみ》は人《ひと》を責《せ》められるのですか。だれが神《かみ》のご計《けい》画《かく》に逆《さか》らうことができましょう。」
ローマ 9:20 しかし、人《ひと》よ。神《かみ》に言《い》い逆《さか》らうあなたは、いったい何《なん》ですか。形《かたち》造《づく》られた者《もの》が形《かたち》造《づく》った者《もの》に対《たい》して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか」と言《い》えるでしょうか。
ローマ 9:21 陶《とう》器《き》を作《つく》る者《もの》は、同《おな》じ土《つち》のかたまりから、尊《たっと》いことに用《もち》いる器《うつわ》でも、また、つまらないことに用《もち》いる器《うつわ》でも作《つく》る権《けん》利《り》を持《も》っていないのでしょうか。
ローマ 9:22 ですが、もし神《かみ》が、怒《いか》りを示《しめ》してご自《じ》分《ぶん》の力《ちから》を知《し》らせようと望《のぞ》んでおられるのに、その滅《ほろ》ぼされるべき怒《いか》りの器《うつわ》を、豊《ゆた》かな寛《かん》容《よう》をもって忍《にん》耐《たい》してくださったとしたら、どうでしょうか。
ローマ 9:23 それも、神《かみ》が栄《えい》光《こう》のためにあらかじめ用《よう》意《い》しておられたあわれみの器《うつわ》に対《たい》して、その豊《ゆた》かな栄《えい》光《こう》を知《し》らせてくださるためになのです。
ローマ 9:24 神《かみ》は、このあわれみの器《うつわ》として、私たちを、ユダヤ人《じん》の中《なか》からだけでなく、異《い》邦《ほう》人《じん》の中《なか》からも召《め》してくださったのです。
ローマ 9:25 それは、ホセアの書《しょ》でも言《い》っておられるとおりです。「わたしは、わが民《たみ》でない者《もの》をわが民《たみ》と呼《よ》び、愛《あい》さなかった者《もの》を愛《あい》する者《もの》と呼《よ》ぶ。
ローマ 9:26 『あなたがたは、わたしの民《たみ》ではない』と、わたしが言《い》ったその場《ば》所《しょ》で、彼《かれ》らは、生《い》ける神《かみ》の子《こ》どもと呼《よ》ばれる。」
ローマ 9:27 また、イスラエルについては、イザヤがこう叫《さけ》んでいます。「たといイスラエルの子《こ》どもたちの数《かず》は、海《うみ》べの砂《すな》のようであっても、救《すく》われるのは、残《のこ》された者《もの》である。
ローマ 9:28 主《しゅ》は、みことばを完《かん》全《ぜん》に、しかも敏《びん》速《そく》に、地《ち》上《じょう》に成《な》し遂《と》げられる。」
ローマ 9:29 また、イザヤがこう預《よ》言《げん》したとおりです。「もし万《ばん》軍《ぐん》の主《しゅ》が、私たちに子《し》孫《そん》を残《のこ》されなかったら、私たちはソドムのようになり、ゴモラと同《おな》じものとされたであろう。」
ローマ 9:30 では、どういうことになりますか。義《ぎ》を追《お》い求《もと》めなかった異《い》邦《ほう》人《じん》は義《ぎ》を得《え》ました。すなわち、信《しん》仰《こう》による義《ぎ》です。
ローマ 9:31 しかし、イスラエルは、義《ぎ》の律《りっ》法《ぽう》を追《お》い求《もと》めながら、その律《りっ》法《ぽう》に到《とう》達《たつ》しませんでした。
ローマ 9:32 なぜでしょうか。信《しん》仰《こう》によって追《お》い求《もと》めることをしないで、行《おこな》いによるかのように追《お》い求《もと》めたからです。彼《かれ》らは、つまずきの石《いし》につまずいたのです。
ローマ 9:33 それは、こう書《か》かれているとおりです。「見《み》よ。わたしは、シオンに、つまずきの石《いし》、妨《さまた》げの岩《いわ》を置《お》く。彼《かれ》に信《しん》頼《らい》する者《もの》は、失《しつ》望《ぼう》させられることがない。」

2017年 06月 27日

ローマ 10

ローマ 10:1 兄《きょう》弟《だい》たち。私が心《こころ》の望《のぞ》みとし、また彼《かれ》らのために神《かみ》に願《ねが》い求《もと》めているのは、彼《かれ》らの救《すく》われることです。
ローマ 10:2 私は、彼《かれ》らが神《かみ》に対《たい》して熱《ねっ》心《しん》であることをあかしします。しかし、その熱《ねっ》心《しん》は知《ち》識《しき》に基《もと》づくものではありません。
ローマ 10:3 というのは、彼《かれ》らは神《かみ》の義《ぎ》を知《し》らず、自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》の義《ぎ》を立《た》てようとして、神《かみ》の義《ぎ》に従《したが》わなかったからです。
ローマ 10:4 キリストが律《りっ》法《ぽう》を終《お》わらせられたので、信《しん》じる人《ひと》はみな義《ぎ》と認《みと》められるのです。
ローマ 10:5 モーセは、律《りっ》法《ぽう》による義《ぎ》を行《おこな》う人《ひと》は、その義《ぎ》によって生《い》きる、と書《か》いています。
ローマ 10:6 しかし、信《しん》仰《こう》による義《ぎ》はこう言《い》います。「あなたは心《こころ》の中《なか》で、だれが天《てん》に上《のぼ》るだろうか、と言《い》ってはいけない。」それはキリストを引《ひ》き降《お》ろすことです。
ローマ 10:7 また、「だれが地《ち》の奥《おく》底《そこ》に下《くだ》るだろうか、と言《い》ってはいけない。」それはキリストを死《し》者《しゃ》の中《なか》から引《ひ》き上《あ》げることです。
ローマ 10:8 では、どう言《い》っていますか。「みことばはあなたの近《ちか》くにある。あなたの口《くち》にあり、あなたの心《こころ》にある。」これは私たちの宣《の》べ伝《つた》えている信《しん》仰《こう》のことばのことです。
ローマ 10:9 なぜなら、もしあなたの口《くち》でイエスを主《しゅ》と告《こく》白《はく》し、あなたの心《こころ》で神《かみ》はイエスを死《し》者《しゃ》の中《なか》からよみがえらせてくださったと信《しん》じるなら、あなたは救《すく》われるからです。
ローマ 10:10 人《ひと》は心《こころ》に信《しん》じて義《ぎ》と認《みと》められ、口《くち》で告《こく》白《はく》して救《すく》われるのです。
ローマ 10:11 聖《せい》書《しょ》はこう言《い》っています。「彼《かれ》に信《しん》頼《らい》する者《もの》は、失《しつ》望《ぼう》させられることがない。」
ローマ 10:12 ユダヤ人《じん》とギリシヤ人《じん》との区《く》別《べつ》はありません。同《おな》じ主《しゅ》が、すべての人《ひと》の主《しゅ》であり、主《しゅ》を呼《よ》び求《もと》めるすべての人《ひと》に対《たい》して恵《めぐ》み深《ぶか》くあられるからです。
ローマ 10:13 「主《しゅ》の御《み》名《な》を呼《よ》び求《もと》める者《もの》は、だれでも救《すく》われる」のです。
ローマ 10:14 しかし、信《しん》じたことのない方《かた》を、どうして呼《よ》び求《もと》めることができるでしょう。聞《き》いたことのない方《かた》を、どうして信《しん》じることができるでしょう。宣《の》べ伝《つた》える人《ひと》がなくて、どうして聞《き》くことができるでしょう。
ローマ 10:15 遣《つか》わされなくては、どうして宣《の》べ伝《つた》えることができるでしょう。次《つぎ》のように書《か》かれているとおりです。「良《よ》いことの知《し》らせを伝《つた》える人《ひと》々《びと》の足《あし》は、なんとりっぱでしょう。」
ローマ 10:16 しかし、すべての人《ひと》が福《ふく》音《いん》に従《したが》ったのではありません。「主《しゅ》よ。だれが私たちの知《し》らせを信《しん》じましたか」とイザヤは言《い》っています。
ローマ 10:17 そのように、信《しん》仰《こう》は聞《き》くことから始《はじ》まり、聞《き》くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ 10:18 でも、こう尋《たず》ねましょう。「はたして彼《かれ》らは聞《き》こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。「その声《こえ》は全《ぜん》地《ち》に響《ひび》き渡《わた》り、そのことばは地《ち》の果《は》てまで届《とど》いた。」
ローマ 10:19 でも、私はこう言《い》いましょう。「はたしてイスラエルは知《し》らなかったのでしょうか。」まず、モーセがこう言《い》っています。「わたしは、民《たみ》でない者《もの》のことで、あなたがたのねたみを起《お》こさせ、無《む》知《ち》な国《こく》民《みん》のことで、あなたがたを怒《いか》らせる。」
ローマ 10:20 またイザヤは大《だい》胆《たん》にこう言《い》っています。「わたしは、わたしを求《もと》めない者《もの》に見《み》いだされ、わたしをたずねない者《もの》に自《じ》分《ぶん》を現《あらわ》した。」
ローマ 10:21 またイスラエルについては、こう言《い》っています。「不《ふじ》従《ゅう》順《じゅん》で反《はん》抗《こう》する民《たみ》に対《たい》して、わたしは一日《にち》中《じゅう》、手《て》を差《さ》し伸《の》べた。」

2017年 06月 28日

ローマ 11

ローマ 11:1 すると、神《かみ》はご自《じ》分《ぶん》の民《たみ》を退《しりぞ》けてしまわれたのですか。絶《ぜっ》対《たい》にそんなことはありません。この私もイスラエル人《じん》で、アブラハムの子《し》孫《そん》に属《ぞく》し、ベニヤミン族《ぞく》の出《しゅっ》身《しん》です。
ローマ 11:2 神《かみ》は、あらかじめ知《し》っておられたご自《じ》分《ぶん》の民《たみ》を退《しりぞ》けてしまわれたのではありません。それともあなたがたは、聖《せい》書《しょ》がエリヤに関《かん》する個《か》所《しょ》で言《い》っていることを、知《し》らないのですか。彼《かれ》はイスラエルを神《かみ》に訴《うった》えてこう言《い》いました。
ローマ 11:3 「主《しゅ》よ。彼《かれ》らはあなたの預《よ》言《げん》者《しゃ》たちを殺《ころ》し、あなたの祭《さい》壇《だん》をこわし、私だけが残《のこ》されました。彼《かれ》らはいま私のいのちを取《と》ろうとしています。」
ローマ 11:4 ところが彼《かれ》に対《たい》して何《なん》とお答《こた》えになりましたか。「バアルにひざをかがめていない男《だん》子《し》七千人《にん》が、わたしのために残《のこ》してある。」
ローマ 11:5 それと同《おな》じように、今《いま》も、恵《めぐ》みの選《えら》びによって残《のこ》された者《もの》がいます。
ローマ 11:6 もし恵《めぐ》みによるのであれば、もはや行《おこな》いによるのではありません。もしそうでなかったら、恵《めぐ》みが恵《めぐ》みでなくなります。
ローマ 11:7 では、どうなるのでしょう。イスラエルは追《お》い求《もと》めていたものを獲《かく》得《とく》できませんでした。選《えら》ばれた者《もの》は獲《かく》得《とく》しましたが、他《た》の者《もの》は、かたくなにされたのです。
ローマ 11:8 こう書《か》かれているとおりです。「神《かみ》は、彼《かれ》らに鈍《にぶ》い心《こころ》と見《み》えない目《め》と聞《き》こえない耳《みみ》を与《あた》えられた。今《こん》日《にち》に至《いた》るまで。」
ローマ 11:9 ダビデもこう言《い》います。「彼《かれ》らの食《しょく》卓《たく》は、彼《かれ》らにとってわなとなり、網《あみ》となり、つまずきとなり、報《むく》いとなれ。
ローマ 11:10 その目《め》はくらんで見《み》えなくなり、その背《せ》はいつまでもかがんでおれ。」
ローマ 11:11 では、尋《たず》ねましょう。彼《かれ》らがつまずいたのは倒《たお》れるためなのでしょうか。絶《ぜっ》対《たい》にそんなことはありません。かえって、彼《かれ》らの違《い》反《はん》によって、救《すく》いが異《い》邦《ほう》人《じん》に及《およ》んだのです。それは、イスラエルにねたみを起《お》こさせるためです。
ローマ 11:12 もし彼《かれ》らの違《い》反《はん》が世《せ》界《かい》の富《とみ》となり、彼《かれ》らの失《しっ》敗《ぱい》が異《い》邦《ほう》人《じん》の富《とみ》となるのなら、彼《かれ》らの完《かん》成《せい》は、それ以《い》上《じょう》の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。
ローマ 11:13 そこで、異《い》邦《ほう》人《じん》の方《かた》々《がた》に言《い》いますが、私は異《い》邦《ほう》人《じん》の使《し》徒《と》ですから、自《じ》分《ぶん》の務《つと》めを重《おも》んじています。
ローマ 11:14 そして、それによって何《なん》とか私の同《どう》国《こく》人《じん》にねたみを引《ひ》き起《お》こさせて、その中《なか》の幾《いく》人《にん》でも救《すく》おうと願《ねが》っているのです。
ローマ 11:15 もし彼《かれ》らの捨《す》てられることが世《せ》界《かい》の和《わ》解《かい》であるとしたら、彼《かれ》らの受《う》け入《い》れられることは、死《し》者《しゃ》の中《なか》から生《い》き返《かえ》ることでなくて何《なん》でしょう。
ローマ 11:16 初《はつ》物《もの》が聖《きよ》ければ、粉《こな》の全《ぜん》部《ぶ》が聖《きよ》いのです。根《ね》が聖《きよ》ければ、枝《えだ》も聖《きよ》いのです。
ローマ 11:17 もしも、枝《えだ》の中《なか》のあるものが折《お》られて、野《や》生《せい》種《しゅ》のオリーブであるあなたがその枝《えだ》に混《ま》じってつがれ、そしてオリーブの根《ね》の豊《ゆた》かな養《よう》分《ぶん》をともに受《う》けているのだとしたら、
ローマ 11:18 あなたはその枝《えだ》に対《たい》して誇《ほこ》ってはいけません。誇《ほこ》ったとしても、あなたが根《ね》をささえているのではなく、根《ね》があなたをささえているのです。
ローマ 11:19 枝《えだ》が折《お》られたのは、私がつぎ合《あ》わされるためだ、とあなたは言《い》うでしょう。
ローマ 11:20 そのとおりです。彼《かれ》らは不《ふ》信《しん》仰《こう》によって折《お》られ、あなたは信《しん》仰《こう》によって立《た》っています。高《たか》ぶらないで、かえって恐《おそ》れなさい。
ローマ 11:21 もし神《かみ》が台《だい》木《ぎ》の枝《えだ》を惜《お》しまれなかったとすれば、あなたをも惜《お》しまれないでしょう。
ローマ 11:22 見《み》てごらんなさい。神《かみ》のいつくしみときびしさを。倒《たお》れた者《もの》の上《うえ》にあるのは、きびしさです。あなたの上《うえ》にあるのは、神《かみ》のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中《なか》にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切《き》り落《お》とされるのです。
ローマ 11:23 彼《かれ》らであっても、もし不《ふ》信《しん》仰《こう》を続《つづ》けなければ、つぎ合《あ》わされるのです。神《かみ》は、彼《かれ》らを再《ふたた》びつぎ合《あ》わすことができるのです。
ローマ 11:24 もしあなたが、野《や》生《せい》種《しゅ》であるオリーブの木《き》から切《き》り取《と》られ、もとの性《せい》質《しつ》に反《はん》して、栽《さい》培《ばい》されたオリーブの木《き》につがれたのであれば、これらの栽《さい》培《ばい》種《しゅ》のものは、もっとたやすく自《じ》分《ぶん》の台《だい》木《ぎ》につがれるはずです。
ローマ 11:25 兄《きょう》弟《だい》たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥《おく》義《ぎ》を知《し》っていていただきたい。それは、あなたがたが自《じ》分《ぶん》で自《じ》分《ぶん》を賢《かしこ》いと思《おも》うことがないようにするためです。その奥《おく》義《ぎ》とは、イスラエル人《じん》の一《いち》部《ぶ》がかたくなになったのは異《い》邦《ほう》人《じん》の完《かん》成《せい》のなる時《とき》までであり、
ローマ 11:26 こうして、イスラエルはみな救《すく》われる、ということです。こう書《か》かれているとおりです。「救《すく》う者《もの》がシオンから出《で》て、ヤコブから不《ふ》敬《けい》虔《けん》を取《と》り払《はら》う。
ローマ 11:27 これこそ、彼《かれ》らに与《あた》えたわたしの契《けい》約《やく》である。それは、わたしが彼《かれ》らの罪《つみ》を取《と》り除《のぞ》く時《とき》である。」
ローマ 11:28 彼《かれ》らは、福《ふく》音《いん》によれば、あなたがたのゆえに、神《かみ》に敵《てき》対《たい》している者《もの》ですが、選《えら》びによれば、父《ふ》祖《そ》たちのゆえに、愛《あい》されている者《もの》なのです。
ローマ 11:29 神《かみ》の賜《たま》物《もの》と召《しょう》命《めい》とは変《か》わることがありません。
ローマ 11:30 ちょうどあなたがたが、かつては神《かみ》に不《ふじ》従《ゅう》順《じゅん》であったが、今《いま》は、彼《かれ》らの不《ふじ》従《ゅう》順《じゅん》のゆえに、あわれみを受《う》けているのと同《どう》様《よう》に、
ローマ 11:31 彼《かれ》らも、今《いま》は不《ふじ》従《ゅう》順《じゅん》になっていますが、それは、あなたがたの受《う》けたあわれみによって、今《いま》や、彼《かれ》ら自《じ》身《しん》もあわれみを受《う》けるためなのです。
ローマ 11:32 なぜなら、神《かみ》は、すべての人《ひと》をあわれもうとして、すべての人《ひと》を不《ふじ》従《ゅう》順《じゅん》のうちに閉《と》じ込《こ》められたからです。
ローマ 11:33 ああ、神《かみ》の知《ち》恵《え》と知《ち》識《しき》との富《とみ》は、何《なん》と底《そこ》知《し》れず深《ふか》いことでしょう。そのさばきは、何《なん》と知《し》り尽《つ》くしがたく、その道《みち》は、何《なん》と測《はか》り知《し》りがたいことでしょう。
ローマ 11:34 なぜなら、だれが主《しゅ》のみこころを知《し》ったのですか。また、だれが主《しゅ》のご計《けい》画《かく》にあずかったのですか。
ローマ 11:35 また、だれが、まず主《しゅ》に与《あた》えて報《むく》いを受《う》けるのですか。
ローマ 11:36 というのは、すべてのことが、神《かみ》から発《はっ》し、神《かみ》によって成《な》り、神《かみ》に至《いた》るからです。どうか、この神《かみ》に、栄《えい》光《こう》がとこしえにありますように。アーメン。

2017年 06月 29日

ローマ 12

ローマ 12:1 そういうわけですから、兄《きょう》弟《だい》たち。私は、神《かみ》のあわれみのゆえに、あなたがたにお願《ねが》いします。あなたがたのからだを、神《かみ》に受《う》け入《い》れられる、聖《きよ》い、生《い》きた供《そな》え物《もの》としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊《れい》的《てき》な礼《れい》拝《はい》です。
ローマ 12:2 この世《よ》と調《ちょう》子《し》を合《あ》わせてはいけません。いや、むしろ、神《かみ》のみこころは何《なに》か、すなわち、何《なに》が良《よ》いことで、神《かみ》に受《う》け入《い》れられ、完《かん》全《ぜん》であるのかをわきまえ知《し》るために、心《こころ》の一《いっ》新《しん》によって自《じ》分《ぶん》を変《か》えなさい。
ローマ 12:3 私は、自《じ》分《ぶん》に与《あた》えられた恵《めぐ》みによって、あなたがたひとりひとりに言《い》います。だれでも、思《おも》うべき限《げん》度《ど》を越《こ》えて思《おも》い上《あ》がってはいけません。いや、むしろ、神《かみ》がおのおのに分《わ》け与《あた》えてくださった信《しん》仰《こう》の量《はか》りに応《おう》じて、慎《つつし》み深《ぶか》い考《かんが》え方《かた》をしなさい。
ローマ 12:4 一つのからだには多《おお》くの器《き》官《かん》があって、すべての器《き》官《かん》が同《おな》じ働《はたら》きはしないのと同《おな》じように、
ローマ 12:5 大《おお》ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互《たが》いに器《き》官《かん》なのです。
ローマ 12:6 私たちは、与《あた》えられた恵《めぐ》みに従《したが》って、異《こと》なった賜《たま》物《もの》を持《も》っているので、もしそれが預《よ》言《げん》であれば、その信《しん》仰《こう》に応《おう》じて預《よ》言《げん》しなさい。
ローマ 12:7 奉《ほう》仕《し》であれば奉《ほう》仕《し》し、教《おし》える人《ひと》であれば教《おし》えなさい。
ローマ 12:8 勧《すす》めをする人《ひと》であれば勧《すす》め、分《わ》け与《あた》える人《ひと》は惜《お》しまずに分《わ》け与《あた》え、指《し》導《どう》する人《ひと》は熱《ねっ》心《しん》に指《し》導《どう》し、慈《じ》善《ぜん》を行《おこな》う人《ひと》は喜《よろこ》んでそれをしなさい。
ローマ 12:9 愛《あい》には偽《いつわ》りがあってはなりません。悪《あく》を憎《にく》み、善《ぜん》に親《した》しみなさい。
ローマ 12:10 兄《きょう》弟《だい》愛《あい》をもって心《こころ》から互《たが》いに愛《あい》し合《あ》い、尊《そん》敬《けい》をもって互《たが》いに人《ひと》を自《じ》分《ぶん》よりまさっていると思《おも》いなさい。
ローマ 12:11 勤《きん》勉《べん》で怠《おこた》らず、霊《れい》に燃《も》え、主《しゅ》に仕《つか》えなさい。
ローマ 12:12 望《のぞ》みを抱《いだ》いて喜《よろこ》び、患《かん》難《なん》に耐《た》え、絶《た》えず祈《いの》りに励《はげ》みなさい。
ローマ 12:13 聖《せい》徒《と》の入《いり》用《よう》に協《きょう》力《りょく》し、旅《たび》人《びと》をもてなしなさい。
ローマ 12:14 あなたがたを迫《はく》害《がい》する者《もの》を祝《しゅく》福《ふく》しなさい。祝《しゅく》福《ふく》すべきであって、のろってはいけません。
ローマ 12:15 喜《よろこ》ぶ者《もの》といっしょに喜《よろこ》び、泣《な》く者《もの》といっしょに泣《な》きなさい。
ローマ 12:16 互《たが》いに一つ心《こころ》になり、高《たか》ぶった思《おも》いを持《も》たず、かえって身《み》分《ぶん》の低《ひく》い者《もの》に順《じゅん》応《のう》しなさい。自《じ》分《ぶん》こそ知《ち》者《しゃ》だなどと思《おも》ってはいけません。
ローマ 12:17 だれに対《たい》してでも、悪《あく》に悪《あく》を報《むく》いることをせず、すべての人《ひと》が良《よ》いと思《おも》うことを図《はか》りなさい。
ローマ 12:18 あなたがたは、自《じ》分《ぶん》に関《かん》する限《かぎ》り、すべての人《ひと》と平《へい》和《わ》を保《たも》ちなさい。
ローマ 12:19 愛《あい》する人《ひと》たち。自《じ》分《ぶん》で復《ふく》讐《しゅう》してはいけません。神《かみ》の怒《いか》りに任《まか》せなさい。それは、こう書《か》いてあるからです。「復《ふく》讐《しゅう》はわたしのすることである。わたしが報《むく》いをする、と主《しゅ》は言《い》われる。」
ローマ 12:20 もしあなたの敵《てき》が飢《う》えたなら、彼《かれ》に食《た》べさせなさい。渇《かわ》いたなら、飲《の》ませなさい。そうすることによって、あなたは彼《かれ》の頭《あたま》に燃《も》える炭《すみ》火《び》を積《つ》むことになるのです。
ローマ 12:21 悪《あく》に負《ま》けてはいけません。かえって、善《ぜん》をもって悪《あく》に打《う》ち勝《か》ちなさい。

2017年 06月 30日

ローマ 13

ローマ 13:1 人《ひと》はみな、上《うえ》に立《た》つ権《けん》威《い》に従《したが》うべきです。神《かみ》によらない権《けん》威《い》はなく、存《そん》在《ざい》している権《けん》威《い》はすべて、神《かみ》によって立《た》てられたものです。
ローマ 13:2 したがって、権《けん》威《い》に逆《さか》らっている人《ひと》は、神《かみ》の定《さだ》めにそむいているのです。そむいた人《ひと》は自《じ》分《ぶん》の身《み》にさばきを招《まね》きます。
ローマ 13:3 支《し》配《はい》者《しゃ》を恐《おそ》ろしいと思《おも》うのは、良《よ》い行《おこな》いをするときではなく、悪《あく》を行《おこな》うときです。権《けん》威《い》を恐《おそ》れたくないと思《おも》うなら、善《ぜん》を行《おこな》いなさい。そうすれば、支《し》配《はい》者《しゃ》からほめられます。
ローマ 13:4 それは、彼《かれ》があなたに益《えき》を与《あた》えるための、神《かみ》のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪《あく》を行《おこな》うなら、恐《おそ》れなければなりません。彼《かれ》は無《む》意《い》味《み》に剣《つるぎ》を帯《お》びてはいないからです。彼《かれ》は神《かみ》のしもべであって、悪《あく》を行《おこな》う人《ひと》には怒《いか》りをもって報《むく》います。
ローマ 13:5 ですから、ただ怒《いか》りが恐《おそ》ろしいからだけでなく、《り》良《ょう》心《しん》のためにも、従《したが》うべきです。
ローマ 13:6 同《おな》じ理《り》由《ゆう》で、あなたがたは、みつぎを納《おさ》めるのです。彼《かれ》らは、いつもその務《つと》めに励《はげ》んでいる神《かみ》のしもべなのです。
ローマ 13:7 あなたがたは、だれにでも義《ぎ》務《む》を果《は》たしなさい。みつぎを納《おさ》めなければならない人《ひと》にはみつぎを納《おさ》め、税《ぜい》を納《おさ》めなければならない人《ひと》には税《ぜい》を納《おさ》め、恐《おそ》れなければならない人《ひと》を恐《おそ》れ、敬《うやま》わなければならない人《ひと》を敬《うやま》いなさい。
ローマ 13:8 だれに対《たい》しても、何《なん》の借《か》りもあってはいけません。ただし、互《たが》いに愛《あい》し合《あ》うことについては別《べつ》です。他《た》の人《ひと》を愛《あい》する者《もの》は、律《りっ》法《ぽう》を完《かん》全《ぜん》に守《まも》っているのです。
ローマ 13:9 「姦《かん》淫《いん》するな、殺《ころ》すな、盗《ぬす》むな、むさぼるな」という戒《いまし》め、またほかにどんな戒《いまし》めがあっても、それらは、「あなたの隣《となり》人《びと》をあなた自《じ》身《しん》のように愛《あい》せよ」ということばの中《なか》に要《よう》約《やく》されているからです。
ローマ 13:10 愛《あい》は隣《となり》人《びと》に対《たい》して害《がい》を与《あた》えません。それゆえ、愛《あい》は律《りっ》法《ぽう》を全《まっと》うします。
ローマ 13:11 あなたがたは、今《いま》がどのような時《とき》か知《し》っているのですから、このように行《おこな》いなさい。あなたがたが眠《ねむ》りからさめるべき時《じ》刻《こく》がもう来《き》ています。というのは、私たちが信《しん》じたころよりも、今《いま》は救《すく》いが私たちにもっと近《ちか》づいているからです。
ローマ 13:12 夜《よ》はふけて、昼《ひる》が近《ちか》づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打《う》ち捨《す》てて、光《ひかり》の武《ぶ》具《ぐ》を着《つ》けようではありませんか。
ローマ 13:13 遊《ゆう》興《きょう》、酩《めい》酊《てい》、淫《いん》乱《らん》、好《こう》色《しょく》、争《あらそ》い、ねたみの生《せい》活《かつ》ではなく、昼《ひる》間《ま》らしい、正《ただ》しい生《い》き方《かた》をしようではありませんか。
ローマ 13:14 主《しゅ》イエス・キリストを着《き》なさい。肉《にく》の欲《よく》のために心《こころ》を用《もち》いてはいけません。