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2017年 10月 16日

ヘブル 2

ヘブル 1:1 神《かみ》は、むかし父《ふ》祖《そ》たちに、預《よ》言《げん》者《しゃ》たちを通《とお》して、多《おお》くの部《ぶ》分《ぶん》に分《わ》け、また、いろいろな方《ほう》法《ほう》で語《かた》られましたが、
ヘブル 1:2 この終《お》わりの時《とき》には、御《み》子《こ》によって、私たちに語《かた》られました。神《かみ》は、御《み》子《こ》を万《ばん》物《ぶつ》の相《そう》続《ぞく》者《しゃ》とし、また御《み》子《こ》によって世《せ》界《かい》を造《つく》られました。
ヘブル 1:3 御《み》子《こ》は神《かみ》の栄《えい》光《こう》の輝《かがや》き、また神《かみ》の本《ほん》質《しつ》の完《かん》全《ぜん》な現《あらわ》れであり、その力《ちから》あるみことばによって万《ばん》物《ぶつ》を保《たも》っておられます。また、罪《つみ》のきよめを成《な》し遂《と》げて、すぐれて高《たか》い所《ところ》の大《たい》能《のう》者《しゃ》の右《みぎ》の座《ざ》に着《つ》かれました。
ヘブル 1:4 御《み》子《こ》は、御《み》使《つか》いたちよりもさらにすぐれた御《み》名《な》を相《そう》続《ぞく》されたように、それだけ御《み》使《つか》いよりもまさるものとなられました。
ヘブル 1:5 神《かみ》は、かつてどの御《み》使《つか》いに向《む》かって、こう言《い》われたでしょう。「あなたは、わたしの子《こ》。きょう、わたしがあなたを生《う》んだ。」またさらに、「わたしは彼《かれ》の父《ちち》となり、彼《かれ》はわたしの子《こ》となる。」
ヘブル 1:6 さらに、長《ちょう》子《し》をこの世《せ》界《かい》にお送《おく》りになるとき、こう言《い》われました。「神《かみ》の御《み》使《つか》いはみな、彼《かれ》を拝《おが》め。」
ヘブル 1:7 また御《み》使《つか》いについては、「神《かみ》は、御《み》使《つか》いたちを風《かぜ》とし、仕《つか》える者《もの》たちを炎《ほのお》とされる。」と言《い》われましたが、
ヘブル 1:8 御《み》子《こ》については、こう言《い》われます。「神《かみ》よ。あなたの御《み》座《ざ》は世《よ》々《よ》限《かぎ》りなく、あなたの御《み》国《くに》の杖《つえ》こそ、まっすぐな杖《つえ》です。
ヘブル 1:9 あなたは義《ぎ》を愛《あい》し、不《ふ》正《せい》を憎《にく》まれます。それゆえ、神《かみ》よ。あなたの神《かみ》は、あふれるばかりの喜《よろこ》びの油《あぶら》を、あなたとともに立《た》つ者《もの》にまして、あなたに注《そそ》ぎなさいました。」
ヘブル 1:10 またこう言《い》われます。「主《しゅ》よ。あなたは、初《はじ》めに地《ち》の基《もとい》を据《す》えられました。天《てん》も、あなたの御《み》手《て》のわざです。
ヘブル 1:11 これらのものは滅《ほろ》びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着《き》物《もの》のように古《ふる》びます。
ヘブル 1:12 あなたはこれらを、外《がい》套《とう》のように巻《ま》かれます。これらを、着《き》物《もの》のように取《と》り替《か》えられます。しかし、あなたは変《か》わることがなく、あなたの年《とし》は尽《つ》きることがありません。」
ヘブル 1:13 神《かみ》は、かつてどの御《み》使《つか》いに向《む》かって、こう言《い》われたでしょう。「わたしがあなたの敵《てき》をあなたの足《あし》台《だい》とするまでは、わたしの右《みぎ》の座《ざ》に着《つ》いていなさい。」
ヘブル 2:1 ですから、私たちは聞《き》いたことを、ますますしっかり心《こころ》に留《と》めて、押《お》し流《なが》されないようにしなければなりません。
ヘブル 2:2 もし、御《み》使《つか》いたちを通《とお》して語《かた》られたみことばでさえ、堅《かた》く立《た》てられて動《うご》くことがなく、すべての違《い》反《はん》と不《ふじ》従《ゅう》順《じゅん》が当《とう》然《ぜん》の処《しょ》罰《ばつ》を受《う》けたとすれば、
ヘブル 2:3 私たちがこんなにすばらしい救《すく》いをないがしろにした場《ば》合《あい》、どうしてのがれることができましょう。この救《すく》いは最《さい》初《しょ》主《しゅ》によって語《かた》られ、それを聞《き》いた人《ひと》たちが、確《たし》かなものとしてこれを私たちに示《しめ》し、
ヘブル 2:4 そのうえ神《かみ》も、しるしと不《ふ》思《し》議《ぎ》とさまざまの力《ちから》あるわざにより、また、みこころに従《したが》って聖《せい》霊《れい》が分《わ》け与《あた》えてくださる賜《たま》物《もの》によってあかしされました。
ヘブル 2:5 神《かみ》は、私たちがいま話《はな》している後《のち》の世《よ》を、御《み》使《つか》いたちに従《したが》わせることはなさらなかったのです。
ヘブル 2:6 むしろ、ある個《か》所《しょ》で、ある人《ひと》がこうあかししています。「人《にん》間《げん》が何《なに》者《もの》だというので、これをみこころに留《と》められるのでしょう。人《ひと》の子《こ》が何《なに》者《もの》だというので、これを顧《かえり》みられるのでしょう。
ヘブル 2:7 あなたは、彼《かれ》を、御《み》使《つか》いよりも、しばらくの間《あいだ》、低《ひく》いものとし、彼《かれ》に栄《えい》光《こう》と誉《ほま》れの冠《かんむり》を与《あた》え、
ヘブル 2:8 万《ばん》物《ぶつ》をその足《あし》の下《した》に従《したが》わせられました。」万《ばん》物《ぶつ》を彼《かれ》に従《したが》わせたとき、神《かみ》は、彼《かれ》に従《したが》わないものを何《なに》一つ残《のこ》されなかったのです。それなのに、今《いま》でもなお、私たちはすべてのものが人《にん》間《げん》に従《したが》わせられているのを見《み》てはいません。
ヘブル 2:9 ただ、御《み》使《つか》いよりも、しばらくの間《あいだ》、低《ひく》くされた方《かた》であるイエスのことは見《み》ています。イエスは、死《し》の苦《くる》しみのゆえに、栄《えい》光《こう》と誉《ほま》れの冠《かんむり》をお受《う》けになりました。その死《し》は、神《かみ》の恵《めぐ》みによって、すべての人《ひと》のために味《あじ》わわれたものです。
ヘブル 2:10 神《かみ》が多《おお》くの子《こ》たちを栄《えい》光《こう》に導《みちび》くのに、彼《かれ》らの救《すく》いの創《そう》始《し》者《し ゃ》を、多《おお》くの苦《くる》しみを通《とお》して全《まっと》うされたということは、万《ばん》物《ぶつ》の存《そん》在《ざい》の目《もく》的《てき》であり、また原《げん》因《いん》でもある方《かた》として、ふさわしいことであったのです。
ヘブル 2:11 聖《せい》とする方《かた》も、聖《せい》とされる者《もの》たちも、すべて元《もと》は一つです。それで、主《しゅ》は彼《かれ》らを兄《きょう》弟《だい》と呼《よ》ぶことを恥《はじ》としないで、こう言《い》われます。
ヘブル 2:12 「わたしは御《み》名《な》を、わたしの兄《きょう》弟《だい》たちに告《つ》げよう。教《きょう》会《かい》の中《なか》で、わたしはあなたを賛《さん》美《び》しよう。」
ヘブル 2:13 またさらに、「わたしは彼《かれ》に信《しん》頼《らい》する。」またさらに、「見《み》よ、わたしと、神《かみ》がわたしに賜《たまわ》った子《こ》たちは。」と言《い》われます。
ヘブル 2:14 そこで、子《こ》たちはみな血《ち》と肉《にく》とを持《も》っているので、主《しゅ》もまた同《おな》じように、これらのものをお持《も》ちになりました。これは、その死《し》によって、悪《あく》魔《ま》という、死《し》の力《ちから》を持《も》つ者《もの》を滅《ほろ》ぼし、
ヘブル 2:15 一《いっ》生《しょう》涯《がい》死《し》の恐《きょう》怖《ふ》につながれて奴《ど》隷《れい》となっていた人《ひと》々《びと》を解《かい》放《ほう》してくださるためでした。
ヘブル 2:16 主《しゅ》は御《み》使《つか》いたちを助《たす》けるのではなく、確《たし》かに、アブラハムの子《し》孫《そん》を助《たす》けてくださるのです。
ヘブル 2:17 そういうわけで、神《かみ》のことについて、あわれみ深《ぶか》い、忠《ちゅう》実《じつ》な大《だい》祭《さい》司《し》となるため、主《しゅ》はすべての点《てん》で《き》兄《ょう》弟《だい》たちと同《おな》じようにならなければなりませんでした。それは民《たみ》の罪《つみ》のために、なだめがなされるためなのです。
ヘブル 2:18 主《しゅ》は、ご自《じ》身《しん》が試《こころ》みを受《う》けて苦《くる》しまれたので、試《こころ》みられている者《もの》たちを助《たす》けることがおできになるのです。

2017年 10月 17日

ヘブル 3

ヘブル 2:1 ですから、私たちは聞《き》いたことを、ますますしっかり心《こころ》に留《と》めて、押《お》し流《なが》されないようにしなければなりません。
ヘブル 2:2 もし、御《み》使《つか》いたちを通《とお》して語《かた》られたみことばでさえ、堅《かた》く立《た》てられて動《うご》くことがなく、すべての違《い》反《はん》と不《ふじ》従《ゅう》順《じゅん》が当《とう》然《ぜん》の処《しょ》罰《ばつ》を受《う》けたとすれば、
ヘブル 2:3 私たちがこんなにすばらしい救《すく》いをないがしろにした場《ば》合《あい》、どうしてのがれることができましょう。この救《すく》いは最《さい》初《しょ》主《しゅ》によって語《かた》られ、それを聞《き》いた人《ひと》たちが、確《たし》かなものとしてこれを私たちに示《しめ》し、
ヘブル 2:4 そのうえ神《かみ》も、しるしと不《ふ》思《し》議《ぎ》とさまざまの力《ちから》あるわざにより、また、みこころに従《したが》って聖《せい》霊《れい》が分《わ》け与《あた》えてくださる賜《たま》物《もの》によってあかしされました。
ヘブル 2:5 神《かみ》は、私たちがいま話《はな》している後《のち》の世《よ》を、御《み》使《つか》いたちに従《したが》わせることはなさらなかったのです。
ヘブル 2:6 むしろ、ある個《か》所《しょ》で、ある人《ひと》がこうあかししています。「人《にん》間《げん》が何《なに》者《もの》だというので、これをみこころに留《と》められるのでしょう。人《ひと》の子《こ》が何《なに》者《もの》だというので、これを顧《かえり》みられるのでしょう。
ヘブル 2:7 あなたは、彼《かれ》を、御《み》使《つか》いよりも、しばらくの間《あいだ》、低《ひく》いものとし、彼《かれ》に栄《えい》光《こう》と誉《ほま》れの冠《かんむり》を与《あた》え、
ヘブル 2:8 万《ばん》物《ぶつ》をその足《あし》の下《した》に従《したが》わせられました。」万《ばん》物《ぶつ》を彼《かれ》に従《したが》わせたとき、神《かみ》は、彼《かれ》に従《したが》わないものを何《なに》一つ残《のこ》されなかったのです。それなのに、今《いま》でもなお、私たちはすべてのものが人《にん》間《げん》に従《したが》わせられているのを見《み》てはいません。
ヘブル 2:9 ただ、御《み》使《つか》いよりも、しばらくの間《あいだ》、低《ひく》くされた方《かた》であるイエスのことは見《み》ています。イエスは、死《し》の苦《くる》しみのゆえに、栄《えい》光《こう》と誉《ほま》れの冠《かんむり》をお受《う》けになりました。その死《し》は、神《かみ》の恵《めぐ》みによって、すべての人《ひと》のために味《あじ》わわれたものです。
ヘブル 2:10 神《かみ》が多《おお》くの子《こ》たちを栄《えい》光《こう》に導《みちび》くのに、彼《かれ》らの救《すく》いの創《そう》始《し》者《し ゃ》を、多《おお》くの苦《くる》しみを通《とお》して全《まっと》うされたということは、万《ばん》物《ぶつ》の存《そん》在《ざい》の目《もく》的《てき》であり、また原《げん》因《いん》でもある方《かた》として、ふさわしいことであったのです。
ヘブル 2:11 聖《せい》とする方《かた》も、聖《せい》とされる者《もの》たちも、すべて元《もと》は一つです。それで、主《しゅ》は彼《かれ》らを兄《きょう》弟《だい》と呼《よ》ぶことを恥《はじ》としないで、こう言《い》われます。
ヘブル 2:12 「わたしは御《み》名《な》を、わたしの兄《きょう》弟《だい》たちに告《つ》げよう。教《きょう》会《かい》の中《なか》で、わたしはあなたを賛《さん》美《び》しよう。」
ヘブル 2:13 またさらに、「わたしは彼《かれ》に信《しん》頼《らい》する。」またさらに、「見《み》よ、わたしと、神《かみ》がわたしに賜《たまわ》った子《こ》たちは。」と言《い》われます。
ヘブル 2:14 そこで、子《こ》たちはみな血《ち》と肉《にく》とを持《も》っているので、主《しゅ》もまた同《おな》じように、これらのものをお持《も》ちになりました。これは、その死《し》によって、悪《あく》魔《ま》という、死《し》の力《ちから》を持《も》つ者《もの》を滅《ほろ》ぼし、
ヘブル 2:15 一《いっ》生《しょう》涯《がい》死《し》の恐《きょう》怖《ふ》につながれて奴《ど》隷《れい》となっていた人《ひと》々《びと》を解《かい》放《ほう》してくださるためでした。
ヘブル 2:16 主《しゅ》は御《み》使《つか》いたちを助《たす》けるのではなく、確《たし》かに、アブラハムの子《し》孫《そん》を助《たす》けてくださるのです。
ヘブル 2:17 そういうわけで、神《かみ》のことについて、あわれみ深《ぶか》い、忠《ちゅう》実《じつ》な大《だい》祭《さい》司《し》となるため、主《しゅ》はすべての点《てん》で《き》兄《ょう》弟《だい》たちと同《おな》じようにならなければなりませんでした。それは民《たみ》の罪《つみ》のために、なだめがなされるためなのです。
ヘブル 3:1 そういうわけですから、天《てん》の召《め》しにあずかっている聖《せい》なる兄《きょう》弟《だい》たち。私たちの告《こく》白《はく》する信《しん》仰《こう》の使《し》徒《と》であり、大《だい》祭《さい》司《し》であるイエスのことを考《かんが》えなさい。
ヘブル 3:2 モーセが神《かみ》の家《いえ》全《ぜん》体《たい》のために忠《ちゅう》実《じつ》であったのと同《どう》様《よう》に、イエスはご自《じ》分《ぶん》を立《た》てた方《かた》に対《たい》して忠《ちゅう》実《じつ》なのです。
ヘブル 3:3 家《いえ》よりも、家《いえ》を建《た》てる者《もの》が大《おお》きな栄《えい》誉《よ》を持《も》つのと同《どう》様《よう》に、イエスはモーセよりも大《おお》きな栄《えい》光《こう》を受《う》けるのにふさわしいとされました。
ヘブル 3:4 家《いえ》はそれぞれ、だれかが建《た》てるのですが、すべてのものを造《つく》られた方《かた》は、神《かみ》です。
ヘブル 3:5 モーセは、しもべとして神《かみ》の家《いえ》全《ぜん》体《たい》のために忠《ちゅう》実《じつ》でした。それは、後《のち》に語《かた》られる事《こと》をあかしするためでした。
ヘブル 3:6 しかし、キリストは御《み》子《こ》として神《かみ》の家《いえ》を忠《ちゅう》実《じつ》に治《おさ》められるのです。もし私たちが、確《かく》信《しん》と、希《き》望《ぼう》による誇《ほ》り《こ》とを、終《お》わりまでしっかりと持《も》ち続《つづ》けるならば、私たちが神《かみ》の家《いえ》なのです。
ヘブル 3:7 ですから、聖《せい》霊《れい》が言《い》われるとおりです。「きょう、もし御《み》声《こえ》を聞《き》くならば、
ヘブル 3:8 荒《あら》野《の》での試《こころ》みの日《ひ》に御《み》怒《いか》りを引《ひ》き起《お》こしたときのように、心《こころ》をかたくなにしてはならない。
ヘブル 3:9 あなたがたの父《ふ》祖《そ》たちは、そこでわたしを試《こころ》みて証《しょう》拠《こ》を求《もと》め、四十年《ねん》の間《あいだ》、わたしのわざを見《み》た。
ヘブル 3:10 だから、わたしはその時《じ》代《だい》を憤《いきどお》って言《い》った。彼《かれ》らは常《つね》に心《こころ》が迷《まよ》い、わたしの道《みち》を悟《さと》らなかった。
ヘブル 3:11 わたしは、怒《いか》りをもって誓《ちか》ったように、決《けっ》して彼《かれ》らをわたしの安《あん》息《そく》に入《はい》らせない。」
ヘブル 3:12 兄《きょう》弟《だい》たち。あなたがたの中《なか》では、だれも悪《わる》い不《ふ》信《しん》仰《こう》の心《こころ》になって生《い》ける神《かみ》から離《はな》れる者《もの》がないように気《き》をつけなさい。
ヘブル 3:13 「きょう」と言《い》われている間《あいだ》に、日《ひ》々《び》互《たが》いに励《はげ》まし合《あ》って、だれも罪《つみ》に惑《まど》わされてかたくなにならないようにしなさい。
ヘブル 3:14 もし最《さい》初《しょ》の確《かく》信《しん》を終《お》わりまでしっかり保《たも》ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者《もの》となるのです。
ヘブル 3:15 「きょう、もし御《み》声《こえ》を聞《き》くならば、御《み》怒《いか》りを引《ひ》き起《お》こしたときのように、心《こころ》をかたくなにしてはならない。」と言《い》われているからです。
ヘブル 3:16 聞《き》いていながら、御《み》怒《いか》りを引《ひ》き起《お》こしたのはだれでしたか。モーセに率《ひき》いられてエジプトを出《で》た人《ひと》々《びと》の全《ぜん》部《ぶ》ではありませんか。
ヘブル 3:17 神《かみ》は四十年《ねん》の間《あいだ》だれを怒《いか》っておられたのですか。罪《つみ》を犯《おか》した人《ひと》々《びと》、しかばねを荒《あら》野《の》にさらした、あの人《ひと》たちをではありませんか。
ヘブル 3:18 また、わたしの安《あん》息《そく》に入《はい》らせないと神《かみ》が誓《ちか》われたのは、ほかでもない、従《したが》おうとしなかった人《ひと》たちのことではありませんか。
ヘブル 3:19 それゆえ、彼《かれ》らが安《あん》息《そく》に入《はい》れなかったのは、不《ふ》信《しん》仰《こう》のためであったことがわかります。

2017年 10月 18日

ヘブル 4

ヘブル 3:1 そういうわけですから、天《てん》の召《め》しにあずかっている聖《せい》なる兄《きょう》弟《だい》たち。私たちの告《こく》白《はく》する信《しん》仰《こう》の使《し》徒《と》であり、大《だい》祭《さい》司《し》であるイエスのことを考《かんが》えなさい。
ヘブル 3:2 モーセが神《かみ》の家《いえ》全《ぜん》体《たい》のために忠《ちゅう》実《じつ》であったのと同《どう》様《よう》に、イエスはご自《じ》分《ぶん》を立《た》てた方《かた》に対《たい》して忠《ちゅう》実《じつ》なのです。
ヘブル 3:3 家《いえ》よりも、家《いえ》を建《た》てる者《もの》が大《おお》きな栄《えい》誉《よ》を持《も》つのと同《どう》様《よう》に、イエスはモーセよりも大《おお》きな栄《えい》光《こう》を受《う》けるのにふさわしいとされました。
ヘブル 3:4 家《いえ》はそれぞれ、だれかが建《た》てるのですが、すべてのものを造《つく》られた方《かた》は、神《かみ》です。
ヘブル 3:5 モーセは、しもべとして神《かみ》の家《いえ》全《ぜん》体《たい》のために忠《ちゅう》実《じつ》でした。それは、後《のち》に語《かた》られる事《こと》をあかしするためでした。
ヘブル 3:6 しかし、キリストは御《み》子《こ》として神《かみ》の家《いえ》を忠《ちゅう》実《じつ》に治《おさ》められるのです。もし私たちが、確《かく》信《しん》と、希《き》望《ぼう》による誇《ほ》り《こ》とを、終《お》わりまでしっかりと持《も》ち続《つづ》けるならば、私たちが神《かみ》の家《いえ》なのです。
ヘブル 3:7 ですから、聖《せい》霊《れい》が言《い》われるとおりです。「きょう、もし御《み》声《こえ》を聞《き》くならば、
ヘブル 3:8 荒《あら》野《の》での試《こころ》みの日《ひ》に御《み》怒《いか》りを引《ひ》き起《お》こしたときのように、心《こころ》をかたくなにしてはならない。
ヘブル 3:9 あなたがたの父《ふ》祖《そ》たちは、そこでわたしを試《こころ》みて証《しょう》拠《こ》を求《もと》め、四十年《ねん》の間《あいだ》、わたしのわざを見《み》た。
ヘブル 3:10 だから、わたしはその時《じ》代《だい》を憤《いきどお》って言《い》った。彼《かれ》らは常《つね》に心《こころ》が迷《まよ》い、わたしの道《みち》を悟《さと》らなかった。
ヘブル 3:11 わたしは、怒《いか》りをもって誓《ちか》ったように、決《けっ》して彼《かれ》らをわたしの安《あん》息《そく》に入《はい》らせない。」
ヘブル 3:12 兄《きょう》弟《だい》たち。あなたがたの中《なか》では、だれも悪《わる》い不《ふ》信《しん》仰《こう》の心《こころ》になって生《い》ける神《かみ》から離《はな》れる者《もの》がないように気《き》をつけなさい。
ヘブル 3:13 「きょう」と言《い》われている間《あいだ》に、日《ひ》々《び》互《たが》いに励《はげ》まし合《あ》って、だれも罪《つみ》に惑《まど》わされてかたくなにならないようにしなさい。
ヘブル 3:14 もし最《さい》初《しょ》の確《かく》信《しん》を終《お》わりまでしっかり保《たも》ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者《もの》となるのです。
ヘブル 3:15 「きょう、もし御《み》声《こえ》を聞《き》くならば、御《み》怒《いか》りを引《ひ》き起《お》こしたときのように、心《こころ》をかたくなにしてはならない。」と言《い》われているからです。
ヘブル 3:16 聞《き》いていながら、御《み》怒《いか》りを引《ひ》き起《お》こしたのはだれでしたか。モーセに率《ひき》いられてエジプトを出《で》た人《ひと》々《びと》の全《ぜん》部《ぶ》ではありませんか。
ヘブル 3:17 神《かみ》は四十年《ねん》の間《あいだ》だれを怒《いか》っておられたのですか。罪《つみ》を犯《おか》した人《ひと》々《びと》、しかばねを荒《あら》野《の》にさらした、あの人《ひと》たちをではありませんか。
ヘブル 3:18 また、わたしの安《あん》息《そく》に入《はい》らせないと神《かみ》が誓《ちか》われたのは、ほかでもない、従《したが》おうとしなかった人《ひと》たちのことではありませんか。
ヘブル 4:1 こういうわけで、神《かみ》の安《あん》息《そく》に入《はい》るための約《やく》束《そく》はまだ残《のこ》っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万《まん》が一《いち》にもこれに入《はい》れないようなことのないように、私たちは恐《おそ》れる心《こころ》を持《も》とうではありませんか。
ヘブル 4:2 福《ふく》音《いん》を説《と》き聞《き》かされていることは、私たちも彼《かれ》らと同《おな》じなのです。ところが、その聞《き》いたみことばも、彼《かれ》らには益《えき》になりませんでした。みことばが、それを聞《き》いた人《ひと》たちに、信《しん》仰《こう》によって、結《むす》びつけられなかったからです。
ヘブル 4:3 信《しん》じた私たちは安《あん》息《そく》に入《はい》るのです。「わたしは、怒《いか》りをもって誓《ちか》ったように、決《けっ》して彼《かれ》らをわたしの安《あん》息《そく》に入《はい》らせない。」と神《かみ》が言《い》われたとおりです。みわざは創《そう》世《せい》の初《はじ》めから、もう終《お》わっているのです。
ヘブル 4:4 というのは、神《かみ》は七《なぬ》日《か》目《め》について、ある個《か》所《しょ》で、「そして、神《かみ》は、すべてのみわざを終《お》えて七《なぬ》日《か》目《め》に休《やす》まれた」と言《い》われました。
ヘブル 4:5 そして、ここでは、「決《けっ》して彼《かれ》らをわたしの安《あん》息《そく》に入《はい》らせない」と言《い》われたのです。
ヘブル 4:6 こういうわけで、その安《あん》息《そく》に入《はい》る人《ひと》々《びと》がまだ残《のこ》っており、前《まえ》に福《ふく》音《いん》を説《と》き聞《き》かされた人《ひと》々《びと》は、不《ふじ》従《ゅう》順《じゅん》のゆえに入《はい》れなかったのですから、
ヘブル 4:7 神《かみ》は再《ふたた》びある日《ひ》を「きょう」と定《さだ》めて、長《なが》い年《ねん》月《げつ》の後《のち》に、前《まえ》に言《い》われたと同《おな》じように、ダビデを通《とお》して、「きょう、もし御《み》声《こえ》を聞《き》くならば、あなたがたの心《こころ》をかたくなにしてはならない。」と語《かた》られたのです。
ヘブル 4:8 もしヨシュアが彼《かれ》らに安《あん》息《そく》を与《あた》えたのであったら、神《かみ》はそのあとで別《べつ》の日《ひ》のことを話《はな》されることはなかったでしょう。
ヘブル 4:9 したがって、安《あん》息《そく》日《にち》の休《やす》みは、神《かみ》の民《たみ》のためにまだ残《のこ》っているのです。
ヘブル 4:10 神《かみ》の安《あん》息《そく》に入《はい》った者《もの》ならば、神《かみ》がご自《じ》分《ぶん》のわざを終《お》えて休《やす》まれたように、自《じ》分《ぶん》のわざを終《お》えて休《やす》んだはずです。
ヘブル 4:11 ですから、私たちは、この安《あん》息《そく》に入《はい》るよう力《ちから》を尽《つ》くして努《つと》め、あの不《ふじ》従《ゅう》順《じゅん》の例《れい》にならって落《らく》後《ご》する者《もの》が、ひとりもいないようにしようではありませんか。
ヘブル 4:12 神《かみ》のことばは生《い》きていて、力《ちから》があり、両《りょう》刃《ば》の剣《つるぎ》よりも鋭《するど》く、たましいと霊《れい》、関《かん》節《せつ》と骨《こつ》髄《ずい》の分《わ》かれ目《め》さえも刺《さ》し通《とお》し、心《こころ》のいろいろな考《かんが》えやはかりごとを判《はん》別《べつ》することができます。
ヘブル 4:13 造《つく》られたもので、神《かみ》の前《まえ》で隠《かく》れおおせるものは何《なに》一つなく、神《かみ》の目《め》には、すべてが裸《はだか》であり、さらけ出《だ》されています。私たちはこの神《かみ》に対《たい》して弁《べん》明《めい》をするのです。
ヘブル 4:14 さて、私たちのためには、もろもろの天《てん》を通《とお》られた偉《い》大《だい》な大《だい》祭《さい》司《し》である神《かみ》の子《こ》イエスがおられるのですから、私たちの信《しん》仰《こう》の告《こく》白《はく》を堅《かた》く保《たも》とうではありませんか。
ヘブル 4:15 私たちの大《だい》祭《さい》司《し》は、私たちの弱《よわ》さに同《どう》情《じょう》できない方《かた》ではありません。罪《つみ》は犯《おか》されませんでしたが、すべての点《てん》で、私たちと同《おな》じように、試《こころ》みに会《あ》われたのです。
ヘブル 4:16 ですから、私たちは、あわれみを受《う》け、また恵《めぐ》みをいただいて、おりにかなった助《たす》けを受《う》けるために、大《だい》胆《たん》に恵《めぐ》みの御《み》座《ざ》に近《ちか》づこうではありませんか。

2017年 10月 19日

ヘブル 5

ヘブル 5:1 大《だい》祭《さい》司《し》はみな、人《ひと》々《びと》の中《なか》から選《えら》ばれ、神《かみ》に仕《つか》える事《こと》がらについて人《ひと》々《びと》に代《か》わる者《もの》として、任《にん》命《めい》を受《う》けたのです。それは、罪《つみ》のために、ささげ物《もの》といけにえとをささげるためです。
ヘブル 5:2 彼《かれ》は、自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》も弱《よわ》さを身《み》にまとっているので、無《む》知《ち》な迷《まよ》っている人《ひと》々《びと》を思《おも》いやることができるのです。
ヘブル 5:3 そしてまた、その弱《よわ》さのゆえに、民《たみ》のためだけでなく、自《じ》分《ぶん》のためにも、罪《つみ》のためのささげ物《もの》をしなければなりません。
ヘブル 5:4 まただれでも、この名《めい》誉《よ》は自《じ》分《ぶん》で得《え》るのではなく、アロンのように神《かみ》に召《め》されて受《う》けるのです。
ヘブル 5:5 同《どう》様《よう》に、キリストも大《だい》祭《さい》司《し》となる栄《えい》誉《よ》を自《じ》分《ぶん》で得《え》られたのではなく、彼《かれ》に、「あなたは、わたしの子《こ》。きょう、わたしがあなたを生《う》んだ。」と言《い》われた方《かた》が、それをお与《あた》えになったのです。
ヘブル 5:6 別《べつ》の個《か》所《しょ》で、こうも言《い》われます。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位《くらい》に等《ひと》しい祭《さい》司《し》である。」
ヘブル 5:7 キリストは、人《ひと》としてこの世《よ》におられたとき、自《じ》分《ぶん》を死《し》から救《すく》うことのできる方《かた》に向《む》かって、大《おお》きな叫《さけ》び声《ごえ》と涙《なみだ》とをもって祈《いの》りと願《ねが》いをささげ、そしてその敬《けい》虔《けん》のゆえに聞《き》き入《い》れられました。
ヘブル 5:8 キリストは御《み》子《こ》であられるのに、お受《う》けになった多《おお》くの苦《くる》しみによって従《じゅう》順《じゅん》を学《まな》び、
ヘブル 5:9 完《かん》全《ぜん》な者《もの》とされ、彼《かれ》に従《したが》うすべての人《ひと》々《びと》に対《たい》して、とこしえの救《すく》いを与《あた》える者《もの》となり、
ヘブル 5:10 神《かみ》によって、メルキゼデクの位《くらい》に等《ひと》しい大《だい》祭《さい》司《し》ととなえられたのです。
ヘブル 5:11 この方《かた》について、私たちは話《はな》すべきことをたくさん持《も》っていますが、あなたがたの耳《みみ》が鈍《にぶ》くなっているため、説《と》き明《あ》かすことが困《こん》難《なん》です。
ヘブル 5:12 あなたがたは年《ねん》数《すう》からすれば教《きょう》師《し》になっていなければならないにもかかわらず、神《かみ》のことばの初《しょ》歩《ほ》をもう一度《ど》だれかに教《おし》えてもらう必《ひつ》要《よう》があるのです。あなたがたは堅《かた》い食《しょく》物《もつ》ではなく、乳《ちち》を必《ひつ》要《よう》とするようになっています。
ヘブル 5:13 まだ乳《ちち》ばかり飲《の》んでいるような者《もの》はみな、義《ぎ》の教《おし》えに通《つう》じてはいません。幼《おさな》子《ご》なのです。
ヘブル 5:14 しかし、堅《かた》い食《しょく》物《もつ》はおとなの物《もの》であって、経《けい》験《けん》によって良《よ》い物《もの》と悪《わる》い物《もの》とを見《み》分《わ》ける感《かん》覚《かく》を訓《くん》練《れん》された人《ひと》たちの物《もの》です。

2017年 10月 20日

ヘブル 6

ヘブル 5:1 大《だい》祭《さい》司《し》はみな、人《ひと》々《びと》の中《なか》から選《えら》ばれ、神《かみ》に仕《つか》える事《こと》がらについて人《ひと》々《びと》に代《か》わる者《もの》として、任《にん》命《めい》を受《う》けたのです。それは、罪《つみ》のために、ささげ物《もの》といけにえとをささげるためです。
ヘブル 5:2 彼《かれ》は、自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》も弱《よわ》さを身《み》にまとっているので、無《む》知《ち》な迷《まよ》っている人《ひと》々《びと》を思《おも》いやることができるのです。
ヘブル 5:3 そしてまた、その弱《よわ》さのゆえに、民《たみ》のためだけでなく、自《じ》分《ぶん》のためにも、罪《つみ》のためのささげ物《もの》をしなければなりません。
ヘブル 5:4 まただれでも、この名《めい》誉《よ》は自《じ》分《ぶん》で得《え》るのではなく、アロンのように神《かみ》に召《め》されて受《う》けるのです。
ヘブル 5:5 同《どう》様《よう》に、キリストも大《だい》祭《さい》司《し》となる栄《えい》誉《よ》を自《じ》分《ぶん》で得《え》られたのではなく、彼《かれ》に、「あなたは、わたしの子《こ》。きょう、わたしがあなたを生《う》んだ。」と言《い》われた方《かた》が、それをお与《あた》えになったのです。
ヘブル 5:6 別《べつ》の個《か》所《しょ》で、こうも言《い》われます。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位《くらい》に等《ひと》しい祭《さい》司《し》である。」
ヘブル 5:7 キリストは、人《ひと》としてこの世《よ》におられたとき、自《じ》分《ぶん》を死《し》から救《すく》うことのできる方《かた》に向《む》かって、大《おお》きな叫《さけ》び声《ごえ》と涙《なみだ》とをもって祈《いの》りと願《ねが》いをささげ、そしてその敬《けい》虔《けん》のゆえに聞《き》き入《い》れられました。
ヘブル 5:8 キリストは御《み》子《こ》であられるのに、お受《う》けになった多《おお》くの苦《くる》しみによって従《じゅう》順《じゅん》を学《まな》び、
ヘブル 5:9 完《かん》全《ぜん》な者《もの》とされ、彼《かれ》に従《したが》うすべての人《ひと》々《びと》に対《たい》して、とこしえの救《すく》いを与《あた》える者《もの》となり、
ヘブル 5:10 神《かみ》によって、メルキゼデクの位《くらい》に等《ひと》しい大《だい》祭《さい》司《し》ととなえられたのです。
ヘブル 5:11 この方《かた》について、私たちは話《はな》すべきことをたくさん持《も》っていますが、あなたがたの耳《みみ》が鈍《にぶ》くなっているため、説《と》き明《あ》かすことが困《こん》難《なん》です。
ヘブル 5:12 あなたがたは年《ねん》数《すう》からすれば教《きょう》師《し》になっていなければならないにもかかわらず、神《かみ》のことばの初《しょ》歩《ほ》をもう一度《ど》だれかに教《おし》えてもらう必《ひつ》要《よう》があるのです。あなたがたは堅《かた》い食《しょく》物《もつ》ではなく、乳《ちち》を必《ひつ》要《よう》とするようになっています。
ヘブル 5:13 まだ乳《ちち》ばかり飲《の》んでいるような者《もの》はみな、義《ぎ》の教《おし》えに通《つう》じてはいません。幼《おさな》子《ご》なのです。
ヘブル 6:1 ですから、私たちは、キリストについての初《しょ》歩《ほ》の教《おし》えをあとにして、成《せい》熟《じゅく》を目《め》ざして進《すす》もうではありませんか。死《し》んだ行《おこな》いからの回《かい》心《しん》、神《かみ》に対《たい》する信《しん》仰《こう》、
ヘブル 6:2 きよめの洗《あら》いについての教《おし》え、手《て》を置《お》く儀《ぎ》式《しき》、死《し》者《しゃ》の復《ふっ》活《かつ》、とこしえのさばきなど基《き》礎《そ》的《てき》なことを再《ふたた》びやり直《なお》したりしないようにしましょう。
ヘブル 6:3 神《かみ》がお許《ゆる》しになるならば、私たちはそうすべきです。
ヘブル 6:4 一度《ど》光《ひかり》を受《う》けて天《てん》からの賜《たま》物《もの》の味《あじ》を知《し》り、聖《せい》霊《れい》にあずかる者《もの》となり、
ヘブル 6:5 神《かみ》のすばらしいみことばと、後《のち》にやがて来《く》る世《よ》の力《ちから》とを味《あじ》わったうえで、
ヘブル 6:6 しかも堕《だ》落《らく》してしまうならば、そういう人《ひと》々《びと》をもう一度《ど》悔《く》い改《あらた》めに立《た》ち返《かえ》らせることはできません。彼《かれ》らは、自《じ》分《ぶん》で神《かみ》の子《こ》をもう一度《ど》十《じゅう》字《じ》架《か》にかけて、恥《ち》辱《じょく》を与《あた》える人《ひと》たちだからです。
ヘブル 6:7 土《と》地《ち》は、その上《うえ》にしばしば降《ふ》る雨《あめ》を吸《す》い込《こ》んで、これを耕《たがや》す人《ひと》たちのために有《ゆう》用《よう》な作《さく》物《もつ》を生《しょう》じるなら、神《かみ》の祝《しゅく》福《ふく》にあずかります。
ヘブル 6:8 しかし、いばらやあざみなどを生《は》えさせるなら、無《む》用《よう》なものであって、やがてのろいを受《う》け、ついには焼《や》かれてしまいます。
ヘブル 6:9 だが、愛《あい》する人《ひと》たち。私たちはこのように言《い》いますが、あなたがたについては、もっと良《よ》いことを確《かく》信《しん》しています。それは救《すく》いにつながることです。
ヘブル 6:10 神《かみ》は正《ただ》しい方《かた》であって、あなたがたの行《おこな》いを忘《わす》れず、あなたがたがこれまで聖《せい》徒《と》たちに仕《つか》え、また今《いま》も仕《つか》えて神《かみ》の御《み》名《な》のために示《しめ》したあの愛《あい》をお忘《わす》れにならないのです。
ヘブル 6:11 そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同《おな》じ熱《ねっ》心《しん》さを示《しめ》して、最《さい》後《ご》まで、私たちの希《き》望《ぼう》について十《じゅう》分《ぶん》な確《かく》信《しん》を持《も》ち続《つづ》けてくれるように切《せつ》望《ぼう》します。
ヘブル 6:12 それは、あなたがたがなまけずに、信《しん》仰《こう》と忍《にん》耐《たい》によって約《やく》束《そく》のものを相《そう》続《ぞく》するあの人《ひと》たちに、ならう者《もの》となるためです。
ヘブル 6:13 神《かみ》は、アブラハムに約《やく》束《そく》されるとき、ご自《じ》分《ぶん》よりすぐれたものをさして誓《ちか》うことがありえないため、ご自《じ》分《ぶん》をさして誓《ちか》い、
ヘブル 6:14 こう言《い》われました。「わたしは必《かなら》ずあなたを祝《しゅく》福《ふく》し、あなたを大《おお》いにふやす。」
ヘブル 6:15 こうして、アブラハムは、忍《にん》耐《たい》の末《すえ》に、約《やく》束《そく》のものを得《え》ました。
ヘブル 6:16 確《たし》かに、人《にん》間《げん》は自《じ》分《ぶん》よりすぐれた者《もの》をさして誓《ちか》います。そして、確《かく》証《しょう》のための誓《ちか》いというものは、人《にん》間《げん》のすべての反《はん》論《ろん》をやめさせます。
ヘブル 6:17 そこで、神《かみ》は約《やく》束《そく》の相《そう》続《ぞく》者《しゃ》たちに、ご計《けい》画《かく》の変《か》わらないことをさらにはっきり示《しめ》そうと思《おも》い、誓《ちか》いをもって保《ほ》証《しょう》されたのです。
ヘブル 6:18 それは、変《か》えることのできない二つの事《こと》がらによって、‐‐神《かみ》は、これらの事《こと》がらのゆえに、偽《いつわ》ることができません‐‐前《まえ》に置《お》かれている望《のぞ》みを捕《と》らえるためにのがれて来《き》た私たちが、力《ちから》強《づよ》い励《はげ》ましを受《う》けるためです。
ヘブル 6:19 この望《のぞ》みは、私たちのたましいのために、安《あん》全《ぜん》で確《たし》かな錨《いかり》の役《やく》を果《は》たし、またこの望《のぞ》みは幕《まく》の内《うち》側《がわ》に入《はい》るのです。
ヘブル 6:20 イエスは私たちの先《さき》駆《が》けとしてそこに入《はい》り、永《えい》遠《えん》にメルキゼデクの位《くらい》に等《ひと》しい大《だい》祭《さい》司《し》となられました。