Today 2021年7月26日 - 2021年7月30日

7月26日

1 コリント 13

1コリント 13:1 たとい、私が人《ひと》の異《い》言《げん》や、御《み》使《つか》いの異《い》言《げん》で話《はな》しても、愛《あい》がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同《おな》じです。
1コリント 13:2 また、たとい私が預《よ》言《げん》の賜《たま》物《もの》を持《も》っており、またあらゆる奥《おく》義《ぎ》とあらゆる知《ち》識《しき》とに通《つう》じ、また、山《やま》を動《うご》かすほどの完《かん》全《ぜん》な信《しん》仰《こう》を持《も》っていても、愛《あい》がないなら、何《なん》の値《ね》うちもありません。
1コリント 13:3 また、たとい私が持《も》っている物《もの》の全《ぜん》部《ぶ》を貧《まず》しい人《ひと》たちに分《わ》け与《あた》え、また私のからだを焼《や》かれるために渡《わた》しても、愛《あい》がなければ、何《なん》の役《やく》にも立《た》ちません。
1コリント 13:4 愛《あい》は寛《かん》容《よう》であり、愛《あい》は親《しん》切《せつ》です。また人《ひと》をねたみません。愛《あい》は自《じ》慢《まん》せず、高《こう》慢《まん》になりません。
1コリント 13:5 礼《れい》儀《ぎ》に反《はん》することをせず、自《じ》分《ぶん》の利《り》益《えき》を求《もと》めず、怒《いか》らず、人《ひと》のした悪《あく》を思《おも》わず、
1コリント 13:6 不《ふ》正《せい》を喜《よろこ》ばずに真《しん》理《り》を喜《よろこ》びます。
1コリント 13:7 すべてをがまんし、すべてを信《しん》じ、すべてを期《き》待《たい》し、すべてを耐《た》え忍《しの》びます。
1コリント 13:8 愛《あい》は決《けっ》して絶《た》えることがありません。預《よ》言《げん》の賜《たま》物《もの》ならばすたれます。異《い》言《げん》ならばやみます。知《ち》識《しき》ならばすたれます。
1コリント 13:9 というのは、私たちの知《し》っているところは一《いち》部《ぶ》分《ぶん》であり、預《よ》言《げん》することも一《いち》部《ぶ》分《ぶん》だからです。
1コリント 13:10 完《かん》全《ぜん》なものが現《あらわ》れたら、不《ふ》完《かん》全《ぜん》なものはすたれます。
1コリント 13:11 私が子《こ》どもであったときには、子《こ》どもとして話《はな》し、子《こ》どもとして考《かんが》え、子《こ》どもとして論《ろん》じましたが、おとなになったときには、子《こ》どものことをやめました。
1コリント 13:12 今《いま》、私たちは鏡《かがみ》にぼんやり映《うつ》るものを見《み》ていますが、その時《とき》には顔《かお》と顔《かお》とを合《あ》わせて見《み》ることになります。今《いま》、私は一《いち》部《ぶ》分《ぶん》しか知《し》りませんが、その時《とき》には、私が完《かん》全《ぜん》に知《し》られているのと同《おな》じように、私も完《かん》全《ぜん》に知《し》ることになります。
1コリント 13:13 こういうわけで、いつまでも残《のこ》るものは信《しん》仰《こう》と希《き》望《ぼう》と愛《あい》です。その中《なか》で一《いち》番《ばん》すぐれているのは愛《あい》です。

7月27日

1 コリント 14

1コリント 14:1 愛《あい》を追《お》い求《もと》めなさい。また、御《み》霊《たま》の賜《たま》物《もの》、特《とく》に預《よ》言《げん》することを熱《ねっ》心《しん》に求《も》め《と》なさい。
1コリント 14:2 異《い》言《げん》を話《はな》す者《もの》は、人《ひと》に話《はな》すのではなく、神《かみ》に話《はな》すのです。というのは、だれも聞《き》いていないのに、自《じ》分《ぶん》の霊《れい》で奥《おく》義《ぎ》を話《はな》すからです。
1コリント 14:3 ところが預《よ》言《げん》する者《もの》は、徳《とく》を高《たか》め、勧《すす》めをなし、慰《なぐさ》めを与《あた》えるために、人《ひと》に向《む》かって話《はな》します。
1コリント 14:4 異《い》言《げん》を話《はな》す者《もの》は自《じ》分《ぶん》の徳《とく》を高《たか》めますが、預《よ》言《げん》する者《もの》は教《きょう》会《かい》の徳《とく》を高《たか》めます。
1コリント 14:5 私はあなたがたがみな異《い》言《げん》を話《はな》すことを望《のぞ》んでいますが、それよりも、あなたがたが預《よ》言《げん》することを望《のぞ》みます。もし異《い》言《げん》を話《はな》す者《もの》がその解《と》き明《あ》かしをして教《きょう》会《かい》の徳《とく》を高《たか》めるのでないなら、異《い》言《げん》を語《かた》る者《もの》よりも、預《よ》言《げん》する者《もの》のほうがまさっています。
1コリント 14:6 ですから、兄《きょう》弟《だい》たち。私があなたがたのところへ行《い》って異《い》言《げん》を話《はな》すとしても、黙《もく》示《し》や知《ち》識《しき》や預《よ》言《げん》や教《おし》えなどによって話《はな》さないなら、あなたがたに何《なん》の益《えき》となるでしょう。
1コリント 14:7 笛《ふえ》や琴《こと》などいのちのない楽《がっ》器《き》でも、はっきりした音《おと》を出《だ》さなければ、何《なに》を吹《ふ》いているのか、何《なに》をひいているのか、どうしてわかりましょう。
1コリント 14:8 また、ラッパがもし、はっきりしない音《おと》を出《だ》したら、だれが戦《せん》闘《とう》の準《じゅん》備《び》をするでしょう。
1コリント 14:9 それと同《おな》じように、あなたがたも、舌《した》で明《めい》瞭《りょう》なことばを語《かた》るのでなければ、言《い》っている事《こと》をどうして知《し》ってもらえるでしょう。それは空《くう》気《き》に向《む》かって話《はな》しているのです。
1コリント 14:10 世《せ》界《かい》にはおそらく非《ひ》常《じょう》に多《おお》くの種《しゅ》類《るい》のことばがあるでしょうが、意《い》味《み》のないことばなど一つもありません。
1コリント 14:11 それで、もし私がそのことばの意《い》味《み》を知《し》らないなら、私はそれを話《はな》す人《ひと》にとって異《い》国《こく》人《じん》であり、それを話《はな》す人《ひと》も私にとって異《い》国《こく》人《じん》です。
1コリント 14:12 あなたがたの場《ば》合《あい》も同《どう》様《よう》です。あなたがたは御《み》霊《たま》の賜《たま》物《もの》を熱《ねっ》心《しん》に求《もと》めているのですから、教《きょう》会《かい》の徳《とく》を高《たか》めるために、それが豊《ゆた》かに与《あた》えられるよう、熱《ねっ》心《しん》に求《もと》めなさい。
1コリント 14:13 こういうわけですから、異《い》言《げん》を語《かた》る者《もの》は、それを解《と》き明《あ》かすことができるように祈《いの》りなさい。
1コリント 14:14 もし私が異《い》言《げん》で祈《いの》るなら、私の霊《れい》は祈《いの》るが、私の知《ち》性《せい》は実《み》を結《むす》ばないのです。
1コリント 14:15 ではどうすればよいのでしょう。私は霊《れい》において祈《いの》り、また知《ち》性《せい》においても祈《いの》りましょう。霊《れい》において賛《さん》美《び》し、また知《ち》性《せい》においても賛《さん》美《び》しましょう。
1コリント 14:16 そうでないと、あなたが霊《れい》において祝《しゅく》福《ふく》しても、異《い》言《げん》を知《し》らない人《ひと》々《びと》の座《ざ》席《せき》に着《つ》いている人《ひと》は、あなたの言《い》っていることがわからないのですから、あなたの感《か ん》謝《し ゃ》について、どうしてアーメンと言《い》えるでしょう。
1コリント 14:17 あなたの感《かん》謝《しゃ》は結《けっ》構《こう》ですが、他《た》の人《ひと》の徳《とく》を高《たか》めることはできません。
1コリント 14:18 私は、あなたがたのだれよりも多《おお》くの異《い》言《げん》を話《はな》すことを神《かみ》に感《かん》謝《しゃ》していますが、
1コリント 14:19 教《きょう》会《かい》では、異《い》言《げん》で一万語《ご》話《はな》すよりは、ほかの人《ひと》を教《おし》えるために、私の知《ち》性《せい》を用《もち》いて五つのことばを話《はな》したいのです。
1コリント 14:20 兄《きょう》弟《だい》たち。物《もの》の考《かんが》え方《かた》において子《こ》どもであってはなりません。悪《あく》事《じ》においては幼《おさな》子《ご》でありなさい。しかし考《かんが》え方《かた》においてはおとなになりなさい。
1コリント 14:21 律《りっ》法《ぽう》にこう書《か》いてあります。「『わたしは、異《こと》なった舌《した》により、異《い》国《こく》の人《ひと》のくちびるによってこの民《たみ》に語《かた》るが、彼《かれ》らはなおわたしの言《い》うことを聞《き》き入《い》れない』と主《しゅ》は言《い》われる。」
1コリント 14:22 それで、異《い》言《げん》は信《しん》者《じゃ》のためのしるしではなく、不《ふ》信《しん》者《じゃ》のためのしるしです。けれども、預《よ》言《げん》は不《ふ》信《しん》者《じゃ》でなく、信《しん》者《じゃ》のためのしるしです。
1コリント 14:23 ですから、もし教《きょう》会《かい》全《ぜん》体《たい》が一か所《しょ》に集《あつ》まって、みなが異《い》言《げん》を話《はな》すとしたら、初《しょ》心《しん》の者《もの》とか信《しん》者《じゃ》でない者《もの》とかが入《はい》って来《き》たとき、彼《かれ》らはあなたがたを、気《き》が狂《くる》っていると言《い》わないでしょうか。
1コリント 14:24 しかし、もしみなが預《よ》言《げん》をするなら、信《しん》者《じゃ》でない者《もの》や初《しょ》心《しん》の者《もの》が入《はい》って来《き》たとき、その人《ひと》はみなの者《もの》によって罪《つみ》を示《しめ》されます。みなにさばかれ、
1コリント 14:25 心《こころ》の秘《ひ》密《みつ》があらわにされます。そうして、神《かみ》が確《たし》かにあなたがたの中《なか》におられると言《い》って、ひれ伏《ふ》して神《かみ》を拝《おが》むでしょう。
1コリント 14:26 兄《きょう》弟《だい》たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集《あつ》まるときには、それぞれの人《ひと》が賛《さん》美《び》したり、教《おし》えたり、黙《もく》示《し》を話《はな》したり、異《い》言《げん》を話《はな》したり、解《と》き明《あ》かしたりします。そのすべてのことを、徳《とく》を高《たか》めるためにしなさい。
1コリント 14:27 もし異《い》言《げん》を話《はな》すのならば、ふたりか、多《おお》くても三人《にん》で順《じゅん》番《ばん》に話《はな》すべきで、ひとりは解《と》き明《あ》かしをしなさい。
1コリント 14:28 もし解《と》き明《あ》かす者《もの》がだれもいなければ、教《きょう》会《かい》では黙《だま》っていなさい。自《じ》分《ぶん》だけで、神《かみ》に向《む》かって話《はな》しなさい。
1コリント 14:29 預《よ》言《げん》する者《もの》も、ふたりか三人《にん》が話《はな》し、ほかの者《もの》はそれを吟《ぎん》味《み》しなさい。
1コリント 14:30 もしも座《ざ》席《せき》に着《つ》いている別《べつ》の人《ひと》に黙《もく》示《し》が与《あた》えられたら、先《さき》の人《ひと》は黙《だま》りなさい。
1コリント 14:31 あなたがたは、みながかわるがわる預《よ》言《げん》できるのであって、すべての人《ひと》が学《まな》ぶことができ、すべての人《ひと》が勧《すす》めを受《う》けることができるのです。
1コリント 14:32 預《よ》言《げん》者《しゃ》たちの霊《れい》は預《よ》言《げん》者《しゃ》たちに服《ふく》従《じゅう》するものなのです。
1コリント 14:33 それは、神《かみ》が混《こん》乱《らん》の神《かみ》ではなく、平《へい》和《わ》の神《かみ》だからです。聖《せい》徒《と》たちのすべての教《きょう》会《かい》で行《おこな》われているように、
1コリント 14:34 教《きょう》会《かい》では、妻《つま》たちは黙《だま》っていなさい。彼《かれ》らは語《かた》ることを許《ゆる》されていません。律《りっ》法《ぽう》も言《い》うように、服《ふく》従《じゅう》しなさい。
1コリント 14:35 もし何《なに》かを学《まな》びたければ、家《いえ》で自《じ》分《ぶん》の夫《おっと》に尋《たず》ねなさい。教《きょう》会《かい》で語《かた》ることは、妻《つま》にとってはふさわしくないことです。
1コリント 14:36 神《かみ》のことばは、あなたがたのところから出《で》たのでしょうか。あるいはまた、あなたがたにだけ伝《つた》わったのでしょうか。
1コリント 14:37 自《じ》分《ぶん》を預《よ》言《げん》者《しゃ》、あるいは、御《み》霊《たま》の人《ひと》と思《おも》う者《もの》は、私があなたがたに書《か》くことが主《しゅ》の命《めい》令《れい》であることを認《みと》めなさい。
1コリント 14:38 もしそれを認《みと》めないなら、その人《ひと》は認《みと》められません。
1コリント 14:39 それゆえ、私の兄《きょう》弟《だい》たち。預《よ》言《げん》することを熱《ねっ》心《しん》に求《もと》めなさい。異《い》言《げん》を話《はな》すことも禁《きん》じてはいけません。
1コリント 14:40 ただ、すべてのことを適《てき》切《せつ》に、秩《ちつ》序《じょ》をもって行《おこな》いなさい。

7月28日

1 コリント 15

1コリント 15:1 兄《きょう》弟《だい》たち。私は今《いま》、あなたがたに福《ふく》音《いん》を知《し》らせましょう。これは、私があなたがたに宣《の》べ伝《つた》えたもので、あなたがたが受《う》け入《い》れ、また、それによって立《た》っている福《ふく》音《いん》です。
1コリント 15:2 また、もしあなたがたがよく考《かんが》えもしないで信《しん》じたのでないなら、私の宣《の》べ伝《つた》えたこの福《ふく》音《いん》のことばをしっかりと保《たも》っていれば、この福《ふく》音《いん》によって救《すく》われるのです。
1コリント 15:3 私があなたがたに最《もっと》もたいせつなこととして伝《つた》えたのは、私も受《う》けたことであって、次《つぎ》のことです。キリストは、聖《せい》書《しょ》の示《しめ》すとおりに、私たちの罪《つみ》のために死《し》なれたこと、
1コリント 15:4 また、葬《ほうむ》られたこと、また、聖《せい》書《しょ》の示《しめ》すとおりに、三《みっ》日《か》目《め》によみがえられたこと、
1コリント 15:5 また、ケパに現《あらわ》れ、それから十二弟《で》子《し》に現《あらわ》れたことです。
1コリント 15:6 その後《のち》、キリストは五百人《にん》以《い》上《じょう》の兄《きょう》弟《だい》たちに同《どう》時《じ》に現《あらわ》れました。その中《なか》の大《だい》多《た》数《すう》の者《もの》は今《いま》なお生《い》き残《のこ》っていますが、すでに眠《ねむ》った者《もの》もいくらかいます。
1コリント 15:7 その後《のち》、キリストはヤコブに現《あらわ》れ、それから使《し》徒《と》たち全《ぜん》部《ぶ》に現《あらわ》れました。
1コリント 15:8 そして、最《さい》後《ご》に、月《つき》足《た》らずで生《う》まれた者《もの》と同《どう》様《よう》な私にも、現《あらわ》れてくださいました。
1コリント 15:9 私は使《し》徒《と》の中《なか》では最《もっと》も小《ちい》さい者《もの》であって、使《し》徒《と》と呼《よ》ばれる価《か》値《ち》のない者《もの》です。なぜなら、私は神《かみ》の教《きょう》会《かい》を迫《はく》害《がい》したからです。
1コリント 15:10 ところが、神《かみ》の恵《めぐ》みによって、私は今《いま》の私になりました。そして、私に対《たい》するこの神《かみ》の恵《めぐ》みは、むだにはならず、私はほかのすべての使《し》徒《と》たちよりも多《おお》く働《はたら》きました。しかし、それは私ではなく、私にある神《かみ》の恵《めぐ》みです。
1コリント 15:11 そういうわけですから、私にせよ、ほかの人《ひと》たちにせよ、私たちはこのように宣《の》べ伝《つた》えているのであり、あなたがたはこのように信《しん》じたのです。
1コリント 15:12 ところで、キリストは死《し》者《しゃ》の中《なか》から復《ふっ》活《かつ》された、と宣《の》べ伝《つた》えられているのなら、どうして、あなたがたの中《なか》に、死《し》者《しゃ》の復《ふっ》活《かつ》はない、と言《い》っている人《ひと》がいるのですか。
1コリント 15:13 もし、死《し》者《しゃ》の復《ふっ》活《かつ》がないのなら、キリストも復《ふっ》活《かつ》されなかったでしょう。
1コリント 15:14 そして、キリストが復《ふっ》活《かつ》されなかったのなら、私たちの宣《せん》教《きょう》は実《じっ》質《しつ》のないものになり、あなたがたの信《しん》仰《こう》も実《じっ》質《しつ》のないものになるのです。
1コリント 15:15 それどころか、私たちは神《かみ》について偽《ぎ》証《しょう》をした者《もの》ということになります。なぜなら、もしもかりに、死《し》者《しゃ》の復《ふっ》活《かつ》はないとしたら、神《かみ》はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神《かみ》がキリストをよみがえらせた、と言《い》って神《かみ》に逆《さか》らう証《しょう》言《げん》をしたからです。
1コリント 15:16 もし、死《し》者《しゃ》がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
1コリント 15:17 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信《しん》仰《こう》はむなしく、あなたがたは今《いま》もなお、自《じ》分《ぶん》の罪《つみ》の中《なか》にいるのです。
1コリント 15:18 そうだったら、キリストにあって眠《ねむ》った者《もの》たちは、滅《ほろ》んでしまったのです。
1コリント 15:19 もし、私たちがこの世《よ》にあってキリストに単《たん》なる希《き》望《ぼう》を置《お》いているだけなら、私たちは、すべての人《ひと》の中《なか》で一《いち》番《ばん》哀《あわ》れな者《もの》です。
1コリント 15:20 しかし、今《いま》やキリストは、眠《ねむ》った者《もの》の初《はつ》穂《ほ》として死《し》者《しゃ》の中《なか》からよみがえられました。
1コリント 15:21 というのは、死《し》がひとりの人《ひと》を通《とお》して来《き》たように、死《し》者《しゃ》の復《ふっ》活《かつ》もひとりの人《ひと》を通《とお》して来《き》たからです。
1コリント 15:22 すなわち、アダムにあってすべての人《ひと》が死《し》んでいるように、キリストによってすべての人《ひと》が生《い》かされるからです。
1コリント 15:23 しかし、おのおのにその順《じゅん》番《ばん》があります。まず初《はつ》穂《ほ》であるキリスト、次《つぎ》にキリストの再《さい》臨《りん》のときキリストに属《ぞく》している者《もの》です。
1コリント 15:24 それから終《お》わりが来《き》ます。そのとき、キリストはあらゆる支《し》配《はい》と、あらゆる権《けん》威《い》、権《けん》力《りょく》を滅《ほろ》ぼし、国《くに》を父《ちち》なる神《かみ》にお渡《わた》しになります。
1コリント 15:25 キリストの支《し》配《はい》は、すべての敵《てき》をその足《あし》の下《した》に置《お》くまで、と定《さだ》められているからです。
1コリント 15:26 最《さい》後《ご》の敵《てき》である死《し》も滅《ほろ》ぼされます。
1コリント 15:27 「彼《かれ》は万《ばん》物《ぶつ》をその足《あし》の下《した》に従《したが》わせた」からです。ところで、万《ばん》物《ぶつ》が従《したが》わせられた、と言《い》うとき、万《ばん》物《ぶつ》を従《したが》わせたその方《かた》がそれに含《ふく》められていないことは明《あき》らかです。
1コリント 15:28 しかし、万《ばん》物《ぶつ》が御《み》子《こ》に従《したが》うとき、御《み》子《こ》自《じ》身《しん》も、ご自《じ》分《ぶん》に万《ばん》物《ぶつ》を従《したが》わせた方《かた》に従《したが》われます。これは、神《かみ》が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
1コリント 15:29 もしこうでなかったら、死《し》者《しゃ》のゆえにバプテスマを受《う》ける人《ひと》たちは、何《なん》のためにそうするのですか。もし、死《し》者《しゃ》は決《けっ》してよみがえらないのなら、なぜその人《ひと》たちは、死《し》者《しゃ》のゆえにバプテスマを受《う》けるのですか。
1コリント 15:30 また、なぜ私たちもいつも危《き》険《けん》にさらされているのでしょうか。
1コリント 15:31 兄《きょう》弟《だい》たち。私にとって、毎《まい》日《にち》が死《し》の連《れん》続《ぞく》です。これは、私たちの主《しゅ》キリスト・イエスにあってあなたがたを誇《ほこ》る私の誇《ほこ》りにかけて、誓《ちか》って言《い》えることです。
1コリント 15:32 もし、私が人《にん》間《げん》的《てき》な動《どう》機《き》から、エペソで獣《けもの》と戦《たた》っ《か》たのなら、何《なん》の益《えき》があるでしょう。もし、死《し》者《しゃ》の復《ふっ》活《かつ》がないのなら、「あすは死《し》ぬのだ。さあ、飲《の》み食《く》いしようではないか」ということになるのです。
1コリント 15:33 思《おも》い違《ちが》いをしてはいけません。友《とも》だちが悪《わる》ければ、良《よ》い習《しゅう》慣《かん》がそこなわれます。
1コリント 15:34 目《め》をさまして、正《ただ》しい生《せい》活《かつ》を送《おく》り、罪《つみ》をやめなさい。神《かみ》についての正《ただ》しい知《ち》識《しき》を持《も》っていない人《ひと》たちがいます。私はあなたがたをはずかしめるために、こう言《い》っているのです。
1コリント 15:35 ところが、ある人《ひと》はこう言《い》うでしょう。「死《し》者《しゃ》は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来《く》るのか。」
1コリント 15:36 愚《おろ》かな人《ひと》だ。あなたの蒔《ま》く物《もの》は、死《し》ななければ、生《い》かされません。
1コリント 15:37 あなたが蒔《ま》く物《もの》は、後《のち》にできるからだではなく、麦《むぎ》やそのほかの穀《こく》物《もつ》の種《たね》粒《つぶ》です。
1コリント 15:38 しかし神《かみ》は、みこころに従《したが》って、それにからだを与《あた》え、おのおのの種《たね》にそれぞれのからだをお与《あた》えになります。
1コリント 15:39 すべての肉《にく》が同《おな》じではなく、人《にん》間《げん》の肉《にく》もあり、獣《けもの》の肉《にく》もあり、鳥《とり》の肉《にく》もあり、魚《うお》の肉《にく》もあります。
1コリント 15:40 また、天《てん》上《じょう》のからだもあり、地《ち》上《じょう》のからだもあり、天《てん》上《じょう》のからだの栄《えい》光《こう》と地《ち》上《じょう》のからだの栄《えい》光《こう》とは異《こと》なっており、
1コリント 15:41 太《たい》陽《よう》の栄《えい》光《こう》もあり、月《つき》の栄《えい》光《こう》もあり、星《ほし》の栄《えい》光《こう》もあります。個《こ》々《こ》の星《ほし》によって栄《えい》光《こう》が違《ちが》います。
1コリント 15:42 死《し》者《しゃ》の復《ふっ》活《かつ》もこれと同《おな》じです。朽《く》ちるもので蒔《ま》かれ、朽《く》ちないものによみがえらされ、
1コリント 15:43 卑《いや》しいもので蒔《ま》かれ、栄《えい》光《こう》あるものによみがえらされ、弱《よわ》いもので蒔《ま》かれ、強《つよ》いものによみがえらされ、
1コリント 15:44 血《け》肉《つに》の《く》からだで蒔《ま》かれ、御《み》霊《たま》に属《ぞく》するからだによみがえらされるのです。血《けつ》肉《にく》のからだがあるのですから、御《み》霊《たま》のからだもあるのです。
1コリント 15:45 聖《せい》書《しょ》に「最《さい》初《しょ》の人《ひと》アダムは生《い》きた者《もの》となった」と書《か》いてありますが、最《さい》後《ご》のアダムは、生《い》かす御《み》霊《たま》となりました。
1コリント 15:46 最《さい》初《しょ》にあったのは血《けつ》肉《にく》のものであり、御《み》霊《たま》のものではありません。御《み》霊《たま》のものはあとに来《く》るのです。
1コリント 15:47 第《だい》一の人《ひと》は地《ち》から出《で》て、土《つち》で造《つく》られた者《もの》ですが、第《だい》二の人《ひと》は天《てん》から出《で》た者《もの》です。
1コリント 15:48 土《つち》で造《つく》られた者《もの》はみな、この土《つち》で造《つく》られた者《もの》に似《に》ており、天《てん》からの者《もの》はみな、この天《てん》から出《で》た者《もの》に似《に》ているのです。
1コリント 15:49 私たちは土《つち》で造《つく》られた者《もの》のかたちを持《も》っていたように、天《てん》上《じょう》のかたちをも持《も》つのです。
1コリント 15:50 兄《きょう》弟《だい》たちよ。私はこのことを言《い》っておきます。血《けつ》肉《にく》のからだは神《かみ》の国《くに》を相《そう》続《ぞく》できません。朽《く》ちるものは、朽《く》ちないものを相《そう》続《ぞく》できません。
1コリント 15:51 聞《き》きなさい。私はあなたがたに奥《おく》義《ぎ》を告《つ》げましょう。私たちはみな、眠《ねむ》ることになるのではなく変《か》えられるのです。
1コリント 15:52 終《お》わりのラッパとともに、たちまち、一《いっ》瞬《しゅん》のうちにです。ラッパが鳴《な》ると、死《し》者《しゃ》は朽《く》ちないものによみがえり、私たちは変《か》えられるのです。
1コリント 15:53 朽《く》ちるものは、必《かなら》ず朽《く》ちないものを着《き》なければならず、死《し》ぬものは、必《かなら》ず不《ふ》死《し》を着《き》なければならないからです。
1コリント 15:54 しかし、朽《く》ちるものが朽《く》ちないものを着《き》、死《し》ぬものが不《ふ》死《し》を着《き》るとき、「死《し》は勝《しょう》利《り》にのまれた」としるされている、みことばが実《じつ》現《げん》します。
1コリント 15:55 「死《し》よ。おまえの勝《しょう》利《り》はどこにあるのか。死《し》よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
1コリント 15:56 死《し》のとげは罪《つみ》であり、罪《つみ》の力《ちから》は律《りっ》法《ぽう》です。
1コリント 15:57 しかし、神《かみ》に感《かん》謝《しゃ》すべきです。神《かみ》は、私たちの主《しゅ》イエス・キリストによって、私たちに勝《しょう》利《り》を与《あた》えてくださいました。
1コリント 15:58 ですから、私の愛《あい》する兄《きょう》弟《だい》たちよ。堅《かた》く立《た》って、動《うご》かされることなく、いつも主《しゅ》のわざに励《はげ》みなさい。あなたがたは自《じ》分《ぶん》たちの労《ろう》苦《く》が、主《しゅ》にあってむだでないことを知《し》っているのですから。

7月29日

1 コリント 16

1コリント 16:1 さて、聖《せい》徒《と》たちのための献《けん》金《きん》については、ガラテヤの諸《しょ》教《きょう》会《かい》に命《めい》じたように、あなたがたにもこう命《めい》じます。
1コリント 16:2 私がそちらに行《い》ってから献《けん》金《きん》を集《あつ》めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、いつも週《しゅう》の初《はじ》めの日《ひ》に、収《しゅう》入《にゅう》に応《おう》じて、手《て》もとにそれをたくわえておきなさい。
1コリント 16:3 私がそちらに行《い》ったとき、あなたがたの承《しょう》認《にん》を得《え》た人《ひと》々《びと》に手《て》紙《がみ》を持《も》たせて派《は》遣《けん》し、あなたがたの献《けん》金《きん》をエルサレムに届《とど》けさせましょう。
1コリント 16:4 しかし、もし私も行《い》くほうがよければ、彼《かれ》らは、私といっしょに行《い》くことになるでしょう。
1コリント 16:5 私は、マケドニヤを通《とお》って後《のち》、あなたがたのところへ行《い》きます。マケドニヤを通《とお》るつもりでいますから。
1コリント 16:6 そして、たぶんあなたがたのところに滞《たい》在《ざい》するでしょう。冬《ふゆ》を越《こ》すことになるかもしれません。それは、どこに行《い》くとしても、あなたがたに送《おく》っていただこうと思《おも》うからです。
1コリント 16:7 私は、いま旅《たび》の途《と》中《ちゅう》に、あなたがたの顔《かお》を見《み》たいと思《おも》っているのではありません。主《しゅ》がお許《ゆる》しになるなら、あなたがたのところにしばらく滞《たい》在《ざい》したいと願《ねが》っています。
1コリント 16:8 しかし、五《ご》旬《じゅん》節《せつ》まではエペソに滞《たい》在《ざい》するつもりです。
1コリント 16:9 というのは、働《はたら》きのための広《ひろ》い門《もん》が私のために開《ひら》かれており、反《はん》対《たい》者《しゃ》も大《おお》ぜいいるからです。
1コリント 16:10 テモテがそちらへ行《い》ったら、あなたがたのところで心《しん》配《ぱい》なく過《す》ごせるよう心《こころ》を配《くば》ってください。彼《かれ》も、私と同《おな》じように、主《しゅ》のみわざに励《はげ》んでいるからです。
1コリント 16:11 だれも彼《かれ》を軽《かろ》んじてはいけません。彼《かれ》を平《へい》安《あん》のうちに送《おく》り出《だ》して、私のところに来《こ》させてください。私は、彼《かれ》が兄《きょう》弟《だい》たちとともに来《く》るのを待《ま》ち望《のぞ》んでいます。
1コリント 16:12 兄《きょう》弟《だい》アポロのことですが、兄《きょう》弟《だい》たちといっしょにあなたがたのところへ行《い》くように、私は強《つよ》く彼《かれ》に勧《すす》めました。しかし、彼《かれ》は今《いま》、そちらへ行《い》こうとは全《ぜん》然《ぜん》思《おも》っていません。しかし、機《き》会《かい》があれば行《い》くでしょう。
1コリント 16:13 目《め》を覚《さ》ましていなさい。堅《かた》く信《しん》仰《こう》に立《た》ちなさい。男《お》ら《とこ》しく、強《つよ》くありなさい。
1コリント 16:14 いっさいのことを愛《あい》をもって行《おこな》いなさい。
1コリント 16:15 兄《きょう》弟《だい》たちよ。あなたがたに勧《すす》めます。ご承《しょう》知《ち》のように、ステパナの家《か》族《ぞく》は、アカヤの初《はつ》穂《ほ》であって、聖《せ》徒《いと》たちのために熱《ねっ》心《しん》に奉《ほう》仕《し》してくれました。
1コリント 16:16 あなたがたは、このような人《ひと》たちに、また、ともに働《はたら》き、労《ろう》しているすべての人《ひと》たちに服《ふく》従《じゅう》しなさい。
1コリント 16:17 ステパナとポルトナトとアカイコが来《き》たので、私は喜《よろこ》んでいます。なぜなら、彼《かれ》らは、あなたがたの足《た》りない分《ぶん》を補《おぎな》ってくれたからです。
1コリント 16:18 彼《かれ》らは、私の心《こころ》をも、あなたがたの心《こころ》をも安《あん》心《しん》させてくれました。このような人《ひと》々《びと》の労《ろう》をねぎらいなさい。
1コリント 16:19 アジヤの諸《しょ》教《きょう》会《かい》がよろしくと言《い》っています。アクラとプリスカ、また彼《かれ》らの家《いえ》の教《きょう》会《かい》が主《しゅ》にあって心《こころ》から、あなたがたによろしくと言《い》っています。
1コリント 16:20 すべての兄《きょう》弟《だい》たちが、あなたがたによろしくと言《い》っています。聖《せい》なる口《くち》づけをもって、互《たが》いにあいさつをかわしなさい。
1コリント 16:21 パウロが、自《じ》分《ぶん》の手《て》であいさつを書《か》きます。
1コリント 16:22 主《しゅ》を愛《あい》さない者《もの》はだれでも、のろわれよ。主《しゅ》よ、来《き》てください。
1コリント 16:23 主《しゅ》イエスの恵《めぐ》みが、あなたがたとともにありますように。
1コリント 16:24 私の愛《あい》は、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべての者《もの》とともにあります。アーメン。

7月30日

2 コリント 1

2コリント 1:1 神《かみ》のみこころによるキリスト・イエスの使《し》徒《と》パウロ、および兄《きょう》弟《だい》テモテから、コリントにある神《かみ》の教《きょう》会《かい》、ならびにアカヤ全《ぜん》土《ど》にいるすべての聖《せい》徒《と》たちへ。
2コリント 1:2 私たちの父《ちち》なる神《かみ》と主《しゅ》イエス・キリストから、恵《めぐ》みと平《へい》安《あん》があなたがたの上《うえ》にありますように。
2コリント 1:3 私たちの主《しゅ》イエス・キリストの父《ちち》なる神《かみ》、慈《じ》愛《あい》の父《ちち》、すべての慰《なぐさ》めの神《かみ》がほめたたえられますように。
2コリント 1:4 神《かみ》は、どのような苦《くる》しみのときにも、私たちを慰《なぐさ》めてくださいます。こうして、私たちも、自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》が神《かみ》から受《う》ける慰《なぐさ》めによって、どのような苦《くる》しみの中《なか》にいる人《ひと》をも慰《なぐさ》めることができるのです。
2コリント 1:5 それは、私たちにキリストの苦《く》難《なん》があふれているように、慰《なぐさ》めもまたキリストによってあふれているからです。
2コリント 1:6 もし私たちが苦《くる》しみに会《あ》うなら、それはあなたがたの慰《なぐさ》めと救《すく》いのためです。もし私たちが慰《なぐさ》めを受《う》けるなら、それもあなたがたの慰《なぐさ》めのためで、その慰《なぐさ》めは、私たちが受《う》けている苦《く》難《なん》と同《おな》じ苦《く》難《なん》に耐《た》え抜《ぬ》く力《ちから》をあなたがたに与《あた》えるのです。
2コリント 1:7 私たちがあなたがたについて抱《いだ》いている望《のぞ》みは、動《うご》くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦《くる》しみをともにしているように、慰《なぐさ》めをもともにしていることを、私たちは知《し》っているからです。
2コリント 1:8 兄《きょう》弟《だい》たちよ。私たちがアジヤで会《あ》った苦《くる》しみについて、ぜひ知《し》っておいてください。私たちは、非《ひ》常《じょう》に激《はげ》しい、耐《た》えられないほどの圧《あっ》迫《ぱく》を受《う》け、ついにいのちさえも危《あやう》くなり、
2コリント 1:9 ほんとうに、自《じ》分《ぶん》の心《こころ》の中《なか》で死《し》を覚《かく》悟《ご》しました。これは、もはや自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》を頼《たの》まず、死《し》者《しゃ》をよみがえらせてくださる神《かみ》により頼《たの》む者《もの》となるためでした。
2コリント 1:10 ところが神《かみ》は、これほどの大《おお》きな死《し》の危《き》険《けん》から、私たちを救《すく》い出《だ》してくださいました。また将《しょう》来《らい》も救《すく》い出《だ》してくださいます。なおも救《すく》い出《だ》してくださるという望《のぞ》みを、私たちはこの神《かみ》に置《お》いているのです。
2コリント 1:11 あなたがたも祈《いの》りによって、私たちを助《たす》けて協《きょう》力《りょく》してくださるでしょう。それは、多《おお》くの人《ひと》々《びと》の祈《いの》りにより私たちに与《あた》えられた恵《めぐ》みについて、多《おお》くの人《ひと》々《びと》が感《かん》謝《しゃ》をささげるようになるためです。
2コリント 1:12 私たちがこの世《よ》の中《なか》で、特《とく》にあなたがたに対《たい》して、聖《きよ》さと神《かみ》から来《く》る誠《せい》実《じつ》さとをもって、人《にん》間《げん》的《てき》な知《ち》恵《え》によらず、神《かみ》の恵《めぐ》みによって行《こう》動《どう》していることは、私たちの良《りょう》心《しん》のあかしするところであって、これこそ私たちの誇《ほこ》りです。
2コリント 1:13 私たちは、あなたがたへの手《て》紙《がみ》で、あなたがたが読《よ》んで理《り》解《かい》できること以《い》外《がい》は何《なに》も書《か》いていません。そして私は、あなたがたが十《じゅう》分《ぶん》に理《り》解《かい》してくれることを望《のぞ》みます。
2コリント 1:14 あなたがたは、ある程《てい》度《ど》は、私たちを理《り》解《かい》しているのですから、私たちの主《しゅ》イエスの日《ひ》には、あなたがたが私たちの誇《ほこ》りであるように、私たちもあなたがたの誇《ほこ》りであるということを、さらに十《じゅう》分《ぶん》に理《り》解《かい》してくださるよう望《のぞ》むのです。
2コリント 1:15 この確《かく》信《しん》をもって、私は次《つぎ》のような計《けい》画《かく》を立《た》てました。まず初《はじ》めにあなたがたのところへ行《い》くことによって、あなたがたが恵《めぐ》みを二度《ど》受《う》けられるようにしようとしたのです。
2コリント 1:16 すなわち、あなたがたのところを通《とお》ってマケドニヤに行《い》き、そしてマケドニヤから再《ふたた》びあなたがたのところに帰《かえ》り、あなたがたに送《おく》られてユダヤに行《い》きたいと思《おも》ったのです。
2コリント 1:17 そういうわけですから、この計《けい》画《かく》を立《た》てた私が、どうして軽《けい》率《そつ》でありえたでしょう。それとも、私の計《けい》画《かく》は人《にん》間《げん》的《てき》な計《けい》画《かく》であって、私にとっては、「しかり、しかり」は同《どう》時《じ》に、「否《いな》、否《いな》」なのでしょうか。
2コリント 1:18 しかし、神《かみ》の真《しん》実《じつ》にかけて言《い》いますが、あなたがたに対《たい》する私たちのことばは、「しかり」と言《い》って、同《どう》時《じ》に「否《いな》」と言《い》うようなものではありません。
2コリント 1:19 私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣《の》べ伝《つた》えた神《かみ》の子《こ》キリスト・イエスは、「しかり」と同《どう》時《じ》に「否《いな》」であるような方《かた》ではありません。この方《かた》には「しかり」だけがあるのです。
2コリント 1:20 神《かみ》の約《やく》束《そく》はことごとく、この方《かた》において「しかり」となりました。それで私たちは、この方《かた》によって「アーメン」と言《い》い、神《かみ》に栄《えい》光《こう》を帰《き》するのです。
2コリント 1:21 私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅《か》く《た》保《たも》ち、私たちに油《あぶら》をそそがれた方《かた》は神《かみ》です。
2コリント 1:22 神《かみ》はまた、確《かく》認《にん》の印《いん》を私たちに押《お》し、保《ほ》証《しょう》として、御《み》霊《たま》を私たちの心《こころ》に与《あた》えてくださいました。
2コリント 1:23 私はこのいのちにかけ、神《かみ》を証《しょう》人《にん》にお呼《よ》びして言《い》います。私がまだコリントへ行《い》かないでいるのは、あなたがたに対《たい》する思《おも》いやりのためです。
2コリント 1:24 私たちは、あなたがたの信《しん》仰《こう》を支《し》配《はい》しようとする者《もの》ではなく、あなたがたの喜《よろこ》びのために働《はたら》く協《きょう》力《りょく》者《しゃ》です。あなたがたは、信《しん》仰《こう》に堅《かた》く立《た》っているからです。
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