1666年9月2日に始まり、多くの命を奪ったロンドン大火を祈念するモニュメント。パン屋の不注意で始まったと言われる。

自分は絶対過ちを犯さない、という人に会ったことはありますか?一つ確かなことがあるとすれば、それはその人は大ウソつきだということです!キツいようですが、本当のことです。

完璧な人間はいません。完璧なのは全知全能の神だけです。だから人は迷うのです。不完全で、欠点だらけで、こわれている人間がどうやって、完全な神の前に立つことができるというのでしょうか。

でも私たちは死に臨むとき、天国に行くか地獄に落ちるかの審判を受けるために身体を離れて神のみ前に立たなければいけません。恐ろしいことです!

ですが、神は私たちに天国に行ってほしいと思っておられます!100%神、100%人間であるイエス・キリストが私たちに代わって十字架で死なれたのはそのためです。罪を知らぬイエスが、人間の身体を以て私たちの代理として神のみ前に立ってくださったのです。

では、私たちが完全でなければいけないなんて、誰が言ったのでしょうか?

実は聖書に次のような文句があります。

「ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい」 (マタイ 5:48)

他でもない究極の権威、選ばれし救世主イエス・キリストがこのようにおっしゃったのです。…一体どういうことでしょうか?

コリント人への第二の手紙の5章21節には、私たち(イエスを信じる者、クリスチャン)は、キリストにあって神の義となる、とあります。これはどういう意味かというと、イエスのおかげで、私たちはイエスの義を自分たちのものとすることができ、地上の身体から離別した後に天国に行けるということです。しかしイエスは、天の父が完全であるように、私たちも完全でなければならないと教えています。どうすればそんなことができるのでしょうか?

良識ある人なら、人間は皆過ちを犯すものなのに、と考えますね。でも文脈を無視してはいけません。この節の前を読んでみましょう。イエスはまず人々に正しい祈り方を教え、自分によってモーセの律法(旧約聖書)が成就したことを説き、次に人間関係について語り始めます。すなわち、離縁をしてはならないこと、誓いをたててはいけないこと、敵を愛せねばならないこと、などです。イエスが完全であれとおっしゃったのは、この文脈においてです。つまり愛において完全であれ、ということなのです。


イエスを信じる者として、あなたが世界の人々の過ちを許し、その言動に関わらず神の愛を以て人を愛する時、あなたは神の完全を示しているのです。その人たちは、あなたの心のこもった挨拶に値しないでしょう。あなたの物を盗んだ人は、あなたに話しかけてもらう価値はないでしょう。あなたを傷つけた人は、あなたに救済を祈ってもらう価値はないでしょう。

でも、神の目を以て彼らを見てみてください。あわれみの念が生じるはずです。彼らは愛する人やものから引き離されて、永遠の罰を受ける運命なのですから。このようにしてみれば、あなたのしたことが間違っていないのがわかるでしょう。

「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです」

(マタイ 5:44-45)


私たちがこの世界にいるのはほんの束の間です。道を見失った者は迷っているのです。でも神の国につながっている者、神を知っている私たちは、道を見失った俗人に希望と神の救済を与えることができます。私たちがやらなければ、誰がやるというのでしょう?コリント人の第二の手紙には、私たちはキリストに代わる使節なのだとあります(5:20)。自分の利益だけを追求する傭兵であれとは書いていません。もっと高いところに立ちましょう。次の一節を見れば、それは明らかなはずです:

「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民(くにたみ)、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。

あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています」

(ペテロ第一 2:9-10)

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