世の中の流れに乗っていれば、人生でそこそこうまくやっていくことは難しくありません。下らない動画を見たり、低俗な音楽を聴いたり、話題のサービスに申し込んでみたり、流行の服を着てみたり。でもそれは、神を賛美する行為でしょうか?あなたを高め、強くしてくれることでしょうか?イエス様は、私たちがどのような道を選ぶべきかについて次のようにおっしゃっています。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入っていく者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見いだす者はわずかです」(マタイ 7:13-14)

世間と同じ考え方をしていると、その暗闇に飲み込まれてしまいます。聖書によれば、サタンは現世に君臨する神もどきの存在であり、地獄の勢力と手を組んで、自分がかつて犯したのと同じ罪にできるだけ多くの人間を引き込もうとしているといいます。父なる神よりも自分の方が優れているという、自惚れと傲慢。世間に流されるのは、非常に危険なことでさえあるのです。

イエス様は、世俗の道は入口が広く入りやすくても、暗黒と破滅に至るものだと教えてくださいました。クリスチャンは違う道―神の道―を選ぶべきです。神の道は公正で、汚れなく、神聖で、明るく、愛に溢れ、永遠の命につながるものです。ですが神の道を選ぶのは容易ではありません。入口を見つけるのが大変なのです。

神の門はどこにあるのでしょう?その狭き門に入れてもらうにはどうすればいいのでしょう?

神の狭き門とは、神との毎日の対話です。自分に厳しくないと、毎朝早起きして祈りを捧げることはできません。強い意志がないと、間違った言葉を口にしてしまいそうなときにそれを我慢することはできません。イエス様も、身をもってそれを示されました。

「しかし、イエスのうわさはますます広まり、大勢の群衆が話を聞くために、また病気を癒してもらうために集まって来た。だが、イエスご自身は寂しいところに退いて祈っておられた」(ルカ 5:15-16)

これこそが私たちが奇跡を行える理由であり、正しい判断をして他の人の人生を変えることができる理由です。私たちが世間と違うのは、私たちが世間と距離を置いているからです。入りやすい門や簡単な道を選ばないからです。私たちは、何を差し置いても神に従うと決めたはずです。私たちの喜びは朝早く起きて、神の存在を感じること。神も、私たちの祈りを喜んでくださいます。なんとよい神なのでしょう!

世間はこれからも変わらないでしょう。ちゃらんぽらんで、めちゃくちゃで、汚らわしくて、恐怖に満ちています。でもあなたは、違う道を選ぶことができます。狭き門を選びましょう。今日からは、イエス様のように毎朝欠かさず神との時間を持つ決意をしましょう。これこそが神の力の源です。あなたは変われます。共に険しき道を歩きましょう!

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