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2020年 07月 13日

1 コリント 8

1コリント 8:1 次《つぎ》に、偶《ぐう》像《ぞう》にささげた肉《にく》についてですが、私たちはみな知《ち》識《しき》を持《も》っているということなら、わかっています。しかし、知《ち》識《しき》は人《ひと》を高《たか》ぶらせ、愛《あい》は人《ひと》の徳《とく》を建《た》てます。
1コリント 8:2 人《ひと》がもし、何《なに》かを知《し》っていると思《おも》ったら、その人《ひと》はまだ知《し》らなければならないほどのことも知《し》ってはいないのです。
1コリント 8:3 しかし、人《ひと》が神《かみ》を愛《あい》するなら、その人《ひと》は神《かみ》に知《し》られているのです。
1コリント 8:4 そういうわけで、偶《ぐう》像《ぞう》にささげた肉《にく》を食《た》べることについてですが、私たちは、世《よ》の偶《ぐう》像《ぞう》の神《かみ》は実《じっ》際《さい》にはないものであること、また、唯《ゆい》一《いつ》の神《かみ》以《い》外《がい》には神《かみ》は存《そん》在《ざい》しないことを知《し》っています。
1コリント 8:5 なるほど、多《おお》くの神《かみ》や、多《おお》くの主《しゅ》があるので、神《かみ》々《がみ》と呼《よ》ばれるものならば、天《てん》にも地《ち》にもありますが、
1コリント 8:6 私たちには、父《ちち》なる唯《ゆい》一《いつ》の神《かみ》がおられるだけで、すべてのものはこの神《かみ》から出《で》ており、私たちもこの神《かみ》のために存《そん》在《ざい》しているのです。また、唯《ゆい》一《いつ》の主《しゅ》なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主《しゅ》によって存《そん》在《ざい》し、私たちもこの主《しゅ》によって存《そん》在《ざい》するのです。
1コリント 8:7 しかし、すべての人《ひと》にこの知《ち》識《しき》があるのではありません。ある人《ひと》たちは、今《いま》まで偶《ぐう》像《ぞう》になじんで来《き》たため偶《ぐう》像《ぞう》にささげた肉《にく》として食《た》べ、それで彼《かれ》らのそのように弱《よわ》い良《りょ》心《うしん》が汚《けが》れるのです。
1コリント 8:8 しかし、私たちを神《かみ》に近《ちか》づけるのは食《しょく》物《もつ》ではありません。食《た》べなくても損《そん》にはならないし、食《た》べても益《えき》にはなりません。
1コリント 8:9 ただ、あなたがたのこの権《けん》利《り》が、弱《よわ》い人《ひと》たちのつまずきとならないように、気《き》をつけなさい。
1コリント 8:10 知《ち》識《しき》のあるあなたが偶《ぐう》像《ぞう》の宮《みや》で食《しょく》事《じ》をしているのをだれかが見《み》たら、それによって力《ちから》を得《え》て、その人《ひと》の良《りょう》心《しん》は弱《よわ》いのに、偶《ぐう》像《ぞう》の神《かみ》にささげた肉《にく》を食《た》べるようなことにならないでしょうか。
1コリント 8:11 その弱《よわ》い人《ひと》は、あなたの知《ち》識《しき》によって、滅《ほろ》びることになるのです。キリストはその兄《きょう》弟《だい》のためにも死《し》んでくださったのです。
1コリント 8:12 あなたがたはこのように兄《きょう》弟《だい》たちに対《たい》して罪《つみ》を犯《おか》し、彼《かれ》らの弱《よわ》い良《りょう》心《しん》を踏《ふ》みにじるとき、キリストに対《たい》して罪《つみ》を犯《おか》しているのです。
1コリント 8:13 ですから、もし食《しょく》物《もつ》が私の兄《きょう》弟《だい》をつまずかせるなら、私は今《こん》後《ご》いっさい肉《にく》を食《た》べません。それは、私の兄《きょう》弟《だい》につまずきを与《あた》えないためです。

2020年 07月 14日

1 コリント 9

1コリント 9:1 私には自《じ》由《ゆう》がないでしょうか。私は使《し》徒《と》ではないのでしょうか。私は私たちの主《しゅ》イエスを見《み》たのではないでしょうか。あなたがたは、主《しゅ》にあって私の働《はたら》きの実《み》ではありませんか。
1コリント 9:2 たとい私がほかの人《ひと》々《びと》に対《たい》しては使《し》徒《と》でなくても、少《すく》なくともあなたがたに対《たい》しては使《し》徒《と》です。あなたがたは、主《しゅ》にあって、私が使《し》徒《と》であることの証《しょう》印《いん》です。
1コリント 9:3 私をさばく人《ひと》たちに対《たい》して、私は次《つぎ》のように弁《べん》明《めい》します。
1コリント 9:4 いったい私たちには飲《の》み食《く》いする権《けん》利《り》がないのでしょうか。
1コリント 9:5 私たちには、ほかの使《し》徒《と》、主《しゅ》の兄《きょう》弟《だい》たち、ケパなどと違《ちが》って、信《しん》者《じゃ》である妻《つま》を連《つ》れて歩《ある》く権《けん》利《り》がないのでしょうか。
1コリント 9:6 それともまた、私とバルナバだけには、生《せい》活《かつ》のための働《はたら》きをやめる権《けん》利《り》がないのでしょうか。
1コリント 9:7 いったい自《じ》分《ぶん》の費《ひ》用《よう》で兵《へい》士《し》になる者《もの》がいるでしょうか。自《じ》分《ぶん》でぶどう園《えん》を造《つく》りながら、その実《み》を食《た》べない者《もの》がいるでしょうか。羊《ひつじ》の群《む》れを飼《か》いながら、その乳《ちち》を飲《の》まない者《もの》がいるでしょうか。
1コリント 9:8 私がこんなことを言《い》うのは、人《にん》間《げん》の考《かんが》えによって言《い》っているのでしょうか。律《りっ》法《ぽう》も同《おな》じことを言《い》っているではありませんか。
1コリント 9:9 モーセの律《りっ》法《ぽう》には、「穀《こく》物《もつ》をこなしている牛《うし》に、くつこを掛《か》けてはいけない」と書《か》いてあります。いったい神《かみ》は、牛《うし》のことを気《き》にかけておられるのでしょうか。
1コリント 9:10 それとも、もっぱら私たちのために、こう言《い》っておられるのでしょうか。むろん、私たちのためにこう書《か》いてあるのです。なぜなら、耕《たがや》す者《もの》が望《のぞ》みを持《も》って耕《たがや》し、脱《だっ》穀《こく》する者《もの》が分《ぶん》配《ぱい》を受《う》ける望《のぞ》みを持《も》って仕《し》事《ごと》をするのは当《とう》然《ぜん》だからです。
1コリント 9:11 もし私たちが、あなたがたに御《み》霊《たま》のものを蒔《ま》いたのであれば、あなたがたから物《ぶっ》質《しつ》的《てき》なものを刈《か》り取《と》ることは行《い》き過《す》ぎでしょうか。
1コリント 9:12 もし、ほかの人《ひと》々《びと》が、あなたがたに対《たい》する権《けん》利《り》にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権《けん》利《り》を用《もち》いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権《けん》利《り》を用《もち》いませんでした。かえって、すべてのことについて耐《た》え忍《しの》んでいます。それは、キリストの福《ふく》音《いん》に少《すこ》しの妨《さまた》げも与《あた》えまいとしてなのです。
1コリント 9:13 あなたがたは、宮《みや》に奉《ほう》仕《し》している者《もの》が宮《みや》の物《もの》を食《た》べ、祭《さい》壇《だん》に仕《つか》える者《もの》が祭《さい》壇《だん》の物《もの》にあずかることを知《し》らないのですか。
1コリント 9:14 同《おな》じように、主《しゅ》も、福《ふく》音《いん》を宣《の》べ伝《つた》える者《もの》が、福《ふく》音《いん》の働《はたら》きから生《せい》活《かつ》のささえを得《え》るように定《さだ》めておられます。
1コリント 9:15 しかし、私はこれらの権《けん》利《り》を一つも用《もち》いませんでした。また、私は自《じ》分《ぶん》がそうされたくてこのように書《か》いているのでもありません。私は自《じ》分《ぶん》の誇《ほこ》りをだれかに奪《う》わ《ば》れるよりは、死《し》んだほうがましだからです。
1コリント 9:16 というのは、私が福《ふく》音《いん》を宣《の》べ伝《つた》えても、それは私の誇《ほこ》りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福《ふく》音《いん》を宣《の》べ伝《つた》えなかったなら、私はわざわいだ。
1コリント 9:17 もし私がこれを自《じ》発《はつ》的《てき》にしているのなら、報《むく》いがありましょう。しかし、強《し》いられたにしても、私には務《つと》めがゆだねられているのです。
1コリント 9:18 では、私にどんな報《むく》いがあるのでしょう。それは、福《ふく》音《いん》を宣《の》べ伝《つた》えるときに報《ほう》酬《しゅう》を求《もと》めないで与《あた》え、福《ふく》音《いん》の働《はたら》きによって持《も》つ自《じ》分《ぶん》の権《けん》利《り》を十《じゅう》分《ぶん》に用《もち》いないことなのです。
1コリント 9:19 私はだれに対《たい》しても自《じ》由《ゆう》ですが、より多《おお》くの人《ひと》を獲《か》得《くと》す《く》るために、すべての人《ひと》の奴《ど》隷《れい》となりました。
1コリント 9:20 ユダヤ人《じん》にはユダヤ人《じん》のようになりました。それはユダヤ人《じん》を獲《かく》得《とく》するためです。律《りっ》法《ぽう》の下《した》にある人《ひと》々《びと》には、私自《じ》身《しん》は律《りっ》法《ぽう》の下《した》にはいませんが、律《りっ》法《ぽう》の下《した》にある者《もの》のようになりました。それは律《りっ》法《ぽう》の下《した》にある人《ひと》々《びと》を獲《かく》得《とく》するためです。
1コリント 9:21 律《りっ》法《ぽう》を持《も》たない人《ひと》々《びと》に対《たい》しては、‐‐私は神《かみ》の律《りっ》法《ぽう》の外《そと》にある者《もの》ではなく、キリストの律《りっ》法《ぽう》を守《まも》る者《もの》ですが‐‐律《りっ》法《ぽう》を持《も》たない者《もの》のようになりました。それは律《りっ》法《ぽう》を持《も》たない人《ひと》々《びと》を獲《かく》得《とく》するためです。
1コリント 9:22 弱《よわ》い人《ひと》々《びと》には、弱《よわ》い者《もの》になりました。弱《よわ》い人《ひと》々《びと》を獲《かく》得《とく》するためです。すべての人《ひと》に、すべてのものとなりました。それは、何《なん》とかして、幾《いく》人《にん》かでも救《すく》うためです。
1コリント 9:23 私はすべてのことを、福《ふく》音《いん》のためにしています。それは、私も福《ふく》音《いん》の恵《めぐ》みをともに受《う》ける者《もの》となるためなのです。
1コリント 9:24 競《きょう》技《ぎ》場《じょう》で走《はし》る人《ひと》たちは、みな走《はし》っても、賞《しょう》を受《う》けるのはただひとりだ、ということを知《し》っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞《しょう》を受《う》けられるように走《はし》りなさい。
1コリント 9:25 また闘《とう》技《ぎ》をする者《もの》は、あらゆることについて自《じ》制《せい》します。彼《かれ》らは朽《く》ちる冠《かんむり》を受《う》けるためにそうするのですが、私たちは朽《く》ちない冠《かんむり》を受《う》けるためにそうするのです。
1コリント 9:26 ですから、私は決《けっ》勝《しょう》点《てん》がどこかわからないような走《はし》り方《かた》はしていません。空《くう》を打《う》つような拳《けん》闘《とう》もしてはいません。
1コリント 9:27 私は自《じ》分《ぶん》のからだを打《う》ちたたいて従《したが》わせます。それは、私がほかの人《ひと》に宣《の》べ伝《つた》えておきながら、自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》が失《しっ》格《かく》者《しゃ》になるようなことのないためです。

2020年 07月 15日

1 コリント 10

1コリント 10:1 そこで、兄《きょう》弟《だい》たち。私はあなたがたにぜひ次《つぎ》のことを知《し》ってもらいたいのです。私たちの父《ふ》祖《そ》たちはみな、雲《くも》の下《した》におり、みな海《うみ》を通《とお》って行《い》きました。
1コリント 10:2 そしてみな、雲《くも》と海《うみ》とで、モーセにつくバプテスマを受《う》け、
1コリント 10:3 みな同《おな》じ御《み》霊《たま》の食《た》べ物《もの》を食《た》べ、
1コリント 10:4 みな同《おな》じ御《み》霊《たま》の飲《の》み物《もの》を飲《の》みました。というのは、彼《かれ》らについて来《き》た御《み》霊《たま》の岩《いわ》から飲《の》んだからです。その岩《いわ》とはキリストです。
1コリント 10:5 にもかかわらず、彼《かれ》らの大《だい》部《ぶ》分《ぶん》は神《かみ》のみこころにかなわず、荒《あら》野《の》で滅《ほろ》ぼされました。
1コリント 10:6 これらのことが起《お》こったのは、私たちへの戒《いまし》めのためです。それは、彼《かれ》らがむさぼったように私たちが悪《あく》をむさぼることのないためです。
1コリント 10:7 あなたがたは、彼《かれ》らの中《なか》のある人《ひと》たちにならって、偶《ぐ う》像《ぞ う》崇《す う》拝《は い》者《し ゃ》となってはいけません。聖《せい》書《しょ》には、「民《たみ》が、すわっては飲《の》み食《く》いし、立《た》っては踊《おど》った」と書《か》いてあります。
1コリント 10:8 また、私たちは、彼《かれ》らのある人《ひと》たちが姦《かん》淫《いん》をしたのにならって姦《かん》淫《いん》をすることはないようにしましょう。彼《かれ》らは姦《かん》淫《いん》のゆえに一日《にち》に二万三千人《にん》死《し》にました。
1コリント 10:9 私たちは、さらに、彼《かれ》らの中《なか》のある人《ひと》たちが主《しゅ》を試《こころ》みたのにならって主《しゅ》を試《こころ》みることはないようにしましょう。彼《かれ》らは蛇《へび》に滅《ほろ》ぼされました。
1コリント 10:10 また、彼《かれ》らの中《なか》のある人《ひと》たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼《かれ》らは滅《ほろ》ぼす者《もの》に滅《ほろ》ぼされました。
1コリント 10:11 これらのことが彼《かれ》らに起《お》こったのは、戒《いまし》めのためであり、それが書《か》かれたのは、世《よ》の終《お》わりに臨《のぞ》んでいる私たちへの教《きょう》訓《くん》とするためです。
1コリント 10:12 ですから、立《た》っていると思《おも》う者《もの》は、倒《たお》れないように気《き》をつけなさい。
1コリント 10:13 あなたがたの会《あ》った試《し》練《れん》はみな人《ひと》の知《し》らないものではありません。神《かみ》は真《しん》実《じつ》な方《かた》ですから、あなたがたを、耐《た》えられないほどの試《し》練《れん》に会《あ》わせることはなさいません。むしろ、耐《た》えられるように、試《し》練《れん》とともに脱《だっ》出《しゅつ》の道《みち》も備《そな》えてくださいます。
1コリント 10:14 ですから、私の愛《あい》する者《もの》たちよ。偶《ぐう》像《ぞう》礼《れい》拝《はい》を避《さ》けなさい。
1コリント 10:15 私は賢《かしこ》い人《ひと》たちに話《はな》すように話《はな》します。ですから私の言《い》うことを判《はん》断《だん》してください。
1コリント 10:16 私たちが祝《しゅく》福《ふく》する祝《しゅく》福《ふく》の杯《さかずき》は、キリストの血《ち》にあずかることではありませんか。私たちの裂《さ》くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。
1コリント 10:17 パンは一つですから、私たちは、多《た》数《すう》であっても、一つのからだです。それは、みなの者《もの》がともに一つのパンを食《た》べるからです。
1コリント 10:18 肉《にく》によるイスラエルのことを考《かんが》えてみなさい。供《そな》え物《もの》を食《た》べる者《もの》は、祭《さい》壇《だん》にあずかるではありませんか。
1コリント 10:19 私は何《なに》を言《い》おうとしているのでしょう。偶《ぐう》像《ぞう》の神《かみ》にささげた肉《にく》に、何《なに》か意《い》味《み》があるとか、偶《ぐう》像《ぞう》の神《かみ》に真《しん》実《じつ》な意《い》味《み》があるとか、言《い》おうとしているのでしょうか。
1コリント 10:20 いや、彼《かれ》らのささげる物《もの》は、神《かみ》にではなくて悪《あく》霊《れい》にささげられている、と言《い》っているのです。私は、あなたがたに悪《あく》霊《れい》と交《まじ》わる者《もの》になってもらいたくありません。
1コリント 10:21 あなたがたが主《しゅ》の杯《さかずき》を飲《の》んだうえ、さらに悪《あく》霊《れい》の杯《さかずき》を飲《の》むことは、できないことです。主《しゅ》の食《しょく》卓《たく》にあずかったうえ、さらに悪《あく》霊《れい》の食《しょく》卓《たく》にあずかることはできないことです。
1コリント 10:22 それとも、私たちは主《しゅ》のねたみを引《ひ》き起《お》こそうとするのですか。まさか、私たちが主《しゅ》よりも強《つよ》いことはないでしょう。
1コリント 10:23 すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有《ゆう》益《えき》とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳《とく》を高《たか》めるとはかぎりません。
1コリント 10:24 だれでも、自《じ》分《ぶん》の利《り》益《えき》を求《もと》めないで、他《た》人《にん》の利《り》益《えき》を心《こころ》がけなさい。
1コリント 10:25 市《いち》場《ば》に売《う》っている肉《にく》は、良《りょう》心《しん》の問《もん》題《だい》として調《しら》べ上《あ》げることはしないで、どれでも食《た》べなさい。
1コリント 10:26 地《ち》とそれに満《み》ちているものは、主《しゅ》のものだからです。
1コリント 10:27 もし、あなたがたが信《しん》仰《こう》のない者《もの》に招《しょう》待《たい》されて、行《い》きたいと思《おも》うときは、良《りょう》心《しん》の問《もん》題《だい》として調《しら》べ上《あ》げることはしないで、自《じ》分《ぶん》の前《まえ》に置《お》かれる物《もの》はどれでも食《た》べなさい。
1コリント 10:28 しかし、もしだれかが、「これは偶《ぐう》像《ぞう》にささげた肉《にく》です」とあなたがたに言《い》うなら、そう知《し》らせた人《ひと》のために、また良《りょう》心《しん》のために、食《た》べてはいけません。
1コリント 10:29 私が良《りょう》心《しん》と言《い》うのは、あなたの良《りょう》心《しん》ではなく、ほかの人《ひと》の良《りょう》心《しん》です。私の自《じ》由《ゆう》が、他《た》の人《ひと》の良《りょう》心《しん》によってさばかれるわけがあるでしょうか。
1コリント 10:30 もし、私が神《かみ》に感《かん》謝《しゃ》をささげて食《た》べるなら、私が感《かん》謝《しゃ》する物《もの》のために、そしられるわけがあるでしょうか。
1コリント 10:31 こういうわけで、あなたがたは、食《た》べるにも、飲《の》むにも、何《なに》をするにも、ただ神《かみ》の栄《えい》光《こう》を現《あらわ》すためにしなさい。
1コリント 10:32 ユダヤ人《じん》にも、ギリシヤ人《じん》にも、神《かみ》の教《きょう》会《かい》にも、つまずきを与《あた》えないようにしなさい。
1コリント 10:33 私も、人《ひと》々《びと》が救《すく》われるために、自《じ》分《ぶん》の利《り》益《えき》を求《もと》めず、多《おお》くの人《ひと》の利《り》益《えき》を求《もと》め、どんなことでも、みなの人《ひと》を喜《よろこ》ばせているのですから。

2020年 07月 16日

1 コリント 11

1コリント 11:1 私がキリストを見《み》ならっているように、あなたがたも私を見《み》ならってください。
1コリント 11:2 さて、あなたがたは、何《なに》かにつけて私を覚《おぼ》え、また、私があなたがたに伝《つた》えたものを、伝《つた》えられたとおりに堅《かた》く守《まも》っているので、私はあなたがたをほめたいと思《おも》います。
1コリント 11:3 しかし、あなたがたに次《つぎ》のことを知《し》っていただきたいのです。すべての男《おとこ》のかしらはキリストであり、女《おんな》のかしらは男《おとこ》であり、キリストのかしらは神《かみ》です。
1コリント 11:4 男《おとこ》が、祈《いの》りや預《よ》言《げん》をするとき、頭《あたま》にかぶり物《もの》を着《つ》けていたら、自《じ》分《ぶん》の頭《あたま》をはずかしめることになります。
1コリント 11:5 しかし、女《おんな》が、祈《いの》りや預《よ》言《げん》をするとき、頭《あたま》にかぶり物《もの》を着《つ》けていなかったら、自《じ》分《ぶん》の頭《あたま》をはずかしめることになります。それは髪《かみ》をそっているのと全《まった》く同《おな》じことだからです。
1コリント 11:6 女《おんな》がかぶり物《もの》を着《つ》けないのなら、髪《かみ》も切《き》ってしまいなさい。髪《かみ》を切《き》り、頭《あたま》をそることが女《おんな》として恥《は》ずかしいことなら、かぶり物《もの》を着《つ》けなさい。
1コリント 11:7 男《おとこ》はかぶり物《もの》を着《つ》けるべきではありません。男《おとこ》は神《か》の《み》似《に》姿《すがた》であり、神《かみ》の栄《えい》光《こう》の現《あらわ》れだからです。女《おんな》は男《おとこ》の栄《えい》光《こう》の現《あらわ》れです。
1コリント 11:8 なぜなら、男《おとこ》は女《おんな》をもとにして造《つく》られたのではなくて、女《おんな》が男《おとこ》をもとにして造《つく》られたのであり、
1コリント 11:9 また、男《おとこ》は女《おんな》のために造《つく》られたのではなく、女《おんな》が男《おとこ》のために造《つく》られたのだからです。
1コリント 11:10 ですから、女《おんな》は頭《あたま》に権《けん》威《い》のしるしをかぶるべきです。それも御《み》使《つか》いたちのためにです。
1コリント 11:11 とはいえ、主《しゅ》にあっては、女《おんな》は男《おとこ》を離《はな》れてあるものではなく、男《おとこ》も女《おんな》を離《はな》れてあるものではありません。
1コリント 11:12 女《おんな》が男《おとこ》をもとにして造《つく》られたように、同《どう》様《よう》に、男《おとこ》も女《おんな》によって生《う》まれるのだからです。しかし、すべては神《かみ》から発《はっ》しています。
1コリント 11:13 あなたがたは自《じ》分《ぶん》自《じ》身《しん》で判《はん》断《だん》しなさい。女《おんな》が頭《あたま》に何《なに》もかぶらないで神《かみ》に祈《いの》るのは、ふさわしいことでしょうか。
1コリント 11:14 自《し》然《ぜん》自《じ》体《たい》が、あなたがたにこう教《おし》えていないでしょうか。男《おとこ》が長《なが》い髪《かみ》をしていたら、それは男《おとこ》として恥《は》ずかしいことであり、
1コリント 11:15 女《おんな》が長《なが》い髪《かみ》をしていたら、それは女《おんな》の光《こう》栄《えい》であるということです。なぜなら、髪《かみ》はかぶり物《もの》として女《おんな》に与《あた》えられているからです。
1コリント 11:16 たとい、このことに異《い》議《ぎ》を唱《とな》えたがる人《ひと》がいても、私たちにはそのような習《しゅう》慣《かん》はないし、神《かみ》の諸《しょ》教《きょう》会《かい》にもありません。
1コリント 11:17 ところで、聞《き》いていただくことがあります。私はあなたがたをほめません。あなたがたの集《あつ》まりが益《えき》にならないで、かえって害《がい》になっているからです。
1コリント 11:18 まず第《だい》一に、あなたがたが教《きょう》会《かい》の集《あつ》まりをするとき、あなたがたの間《あいだ》には分《ぶん》裂《れつ》があると聞《き》いています。ある程《てい》度《ど》は、それを信《しん》じます。
1コリント 11:19 というのは、あなたがたの中《なか》でほんとうの信《しん》者《じゃ》が明《あき》らかにされるためには、分《ぶん》派《ぱ》が起《お》こるのもやむをえないからです。
1コリント 11:20 しかし、そういうわけで、あなたがたはいっしょに集《あつ》まっても、それは主《しゅ》の晩《ばん》餐《さん》を食《た》べるためではありません。
1コリント 11:21 食《しょく》事《じ》のとき、めいめい我《われ》先《さき》にと自《じ》分《ぶん》の食《しょく》事《じ》を済《す》ませるので、空《くう》腹《ふく》な者《もの》もおれば、酔《よ》っている者《もの》もいるというしまつです。
1コリント 11:22 飲《いん》食《しょく》のためなら、自《じ》分《ぶん》の家《いえ》があるでしょう。それとも、あなたがたは、神《かみ》の教《きょう》会《かい》を軽《かろ》んじ、貧《まず》しい人《ひと》たちをはずかしめたいのですか。私はあなたがたに何《なん》と言《い》ったらよいでしょう。ほめるべきでしょうか。このことに関《かん》しては、ほめるわけにはいきません。
1コリント 11:23 私は主《しゅ》から受《う》けたことを、あなたがたに伝《つた》えたのです。すなわち、主《しゅ》イエスは、渡《わた》される夜《よ》、パンを取《と》り、
1コリント 11:24 感《かん》謝《しゃ》をささげて後《のち》、それを裂《さ》き、こう言《い》われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚《おぼ》えて、これを行《おこな》いなさい。」
1コリント 11:25 夕《ゆう》食《しょく》の後《のち》、杯《さかずき》をも同《おな》じようにして言《い》われました。「この杯《さかずき》は、わたしの血《ち》による新《あたら》しい契《けい》約《やく》です。これを飲《の》むたびに、わたしを覚《おぼ》えて、これを行《おこな》いなさい。」
1コリント 11:26 ですから、あなたがたは、このパンを食《た》べ、この杯《さかずき》を飲《の》むたびに、主《しゅ》が来《こ》られるまで、主《しゅ》の死《し》を告《つ》げ知《し》らせるのです。
1コリント 11:27 したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食《た》べ、主《しゅ》の杯《さかずき》を飲《の》む者《もの》があれば、主《しゅ》のからだと血《ち》に対《たい》して罪《つみ》を犯《おか》すことになります。
1コリント 11:28 ですから、ひとりひとりが自《じ》分《ぶん》を吟《ぎん》味《み》して、そのうえでパンを食《た》べ、杯《さかずき》を飲《の》みなさい。
1コリント 11:29 みからだをわきまえないで、飲《の》み食《く》いするならば、その飲《の》み食《く》いが自《じ》分《ぶん》をさばくことになります。
1コリント 11:30 そのために、あなたがたの中《なか》に、弱《よわ》い者《もの》や病《びょう》人《にん》が多《おお》くなり、死《し》んだ者《もの》が大《おお》ぜいいます。
1コリント 11:31 しかし、もし私たちが自《じ》分《ぶん》をさばくなら、さばかれることはありません。
1コリント 11:32 しかし、私たちがさばかれるのは、主《しゅ》によって懲《こ》らしめられるのであって、それは、私たちが、この世《よ》とともに罪《つみ》に定《さだ》められることのないためです。
1コリント 11:33 ですから、兄《きょう》弟《だい》たち。食《しょく》事《じ》に集《あつ》まるときは、互《たが》いに待《ま》ち合《あ》わせなさい。
1コリント 11:34 空《くう》腹《ふく》な人《ひと》は家《いえ》で食《た》べなさい。それは、あなたがたが集《あつ》まることによって、さばきを受《う》けることにならないためです。その他《た》のことについては、私が行《い》ったときに決《き》めましょう。

2020年 07月 17日

1 コリント 12

1コリント 12:1 さて、兄《きょう》弟《だい》たち。御《み》霊《たま》の賜《たま》物《もの》についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次《つぎ》のことを知《し》っていていただきたいのです。
1コリント 12:2 ご承《しょう》知《ち》のように、あなたがたが異《い》教《きょう》徒《と》であったときには、どう導《みちび》かれたとしても、引《ひ》かれて行《い》った所《ところ》は、ものを言《い》わない偶《ぐう》像《ぞう》の所《ところ》でした。
1コリント 12:3 ですから、私は、あなたがたに次《つぎ》のことを教《おし》えておきます。神《かみ》の御《み》霊《たま》によって語《かた》る者《もの》はだれも、「イエスはのろわれよ」と言《い》わず、また、聖《せい》霊《れい》によるのでなければ、だれも、「イエスは主《しゅ》です」と言《い》うことはできません。
1コリント 12:4 さて、賜《たま》物《もの》にはいろいろの種《しゅ》類《るい》がありますが、御《み》霊《たま》は同《おな》じ御《み》霊《たま》です。
1コリント 12:5 奉《ほう》仕《し》にはいろいろの種《しゅ》類《るい》がありますが、主《しゅ》は同《おな》じ主《しゅ》です。
1コリント 12:6 働《はたら》きにはいろいろの種《しゅ》類《るい》がありますが、神《かみ》はすべての人《ひと》の中《なか》ですべての働《はたら》きをなさる同《おな》じ神《かみ》です。
1コリント 12:7 しかし、みなの益《えき》となるために、おのおのに御《み》霊《たま》の現《あらわ》れが与《あた》えられているのです。
1コリント 12:8 ある人《ひと》には御《み》霊《たま》によって知《ち》恵《え》のことばが与《あた》えられ、ほかの人《ひと》には同《おな》じ御《み》霊《たま》にかなう知《ち》識《しき》のことばが与《あた》えられ、
1コリント 12:9 またある人《ひと》には同《おな》じ御《み》霊《たま》による信《しん》仰《こう》が与《あた》えられ、ある人《ひと》には同《どう》一《いつ》の御《み》霊《たま》によって、いやしの賜《たま》物《もの》が与《あた》えられ、
1コリント 12:10 ある人《ひと》には奇《き》蹟《せき》を行《おこな》う力《ちから》、ある人《ひと》には預《よ》言《げん》、ある人《ひと》には霊《れい》を見《み》分《わ》ける力《ちから》、ある人《ひと》には異《い》言《げん》、ある人《ひと》には異《い》言《げん》を解《と》き明《あ》かす力《ちから》が与《あた》えられています。
1コリント 12:11 しかし、同《どう》一《いつ》の御《み》霊《たま》がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜《たま》物《もの》を分《わ》け与《あた》えてくださるのです。
1コリント 12:12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多《おお》くの部《ぶ》分《ぶん》があり、からだの部《ぶ》分《ぶん》はたとい多《おお》くあっても、その全《ぜん》部《ぶ》が一つのからだであるように、キリストもそれと同《どう》様《よう》です。
1コリント 12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人《じん》もギリシヤ人《じん》も、奴《ど》隷《れい》も自《じ》由《ゆう》人《じん》も、一つのからだとなるように、一つの御《み》霊《たま》によってバプテスマを受《う》け、そしてすべての者《もの》が一つの御《み》霊《たま》を飲《の》む者《もの》とされたからです。
1コリント 12:14 確《たし》かに、からだはただ一つの器《き》官《かん》ではなく、多《おお》くの器《き》官《かん》から成《な》っています。
1コリント 12:15 たとい、足《あし》が、「私は手《て》ではないから、からだに属《ぞく》さない」と言《い》ったところで、そんなことでからだに属《ぞく》さなくなるわけではありません。
1コリント 12:16 たとい、耳《みみ》が、「私は目《め》ではないから、からだに属《ぞく》さない」と言《い》ったところで、そんなことでからだに属《ぞく》さなくなるわけではありません。
1コリント 12:17 もし、からだ全《ぜん》体《たい》が目《め》であったら、どこで聞《き》くのでしょう。もし、からだ全《ぜん》体《たい》が聞《き》くところであったら、どこでかぐのでしょう。
1コリント 12:18 しかしこのとおり、神《かみ》はみこころに従《したが》って、からだの中《なか》にそれぞれの器《き》官《かん》を備《そな》えてくださったのです。
1コリント 12:19 もし、全《ぜん》部《ぶ》がただ一つの器《き》官《かん》であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
1コリント 12:20 しかしこういうわけで、器《き》官《かん》は多《おお》くありますが、からだは一つなのです。
1コリント 12:21 そこで、目《め》が手《て》に向《む》かって、「私はあなたを必《ひつ》要《よう》としない」と言《い》うことはできないし、頭《あたま》が足《あし》に向《む》かって、「私はあなたを必《ひつ》要《よう》としない」と言《い》うこともできません。
1コリント 12:22 それどころか、からだの中《なか》で比《ひ》較《かく》的《てき》に弱《よわ》いと見《み》られる器《き》官《かん》が、かえってなくてはならないものなのです。
1コリント 12:23 また、私たちは、からだの中《なか》で比《ひ》較《かく》的《てき》に尊《たっと》くないとみなす器《き》官《かん》を、ことさらに尊《たっと》びます。こうして、私たちの見《み》ばえのしない器《き》官《かん》は、ことさらに良《よ》いかっこうになりますが、
1コリント 12:24 かっこうの良《よ》い器《き》官《かん》にはその必《ひつ》要《よう》がありません。しかし神《かみ》は、劣《おと》ったところをことさらに尊《たっと》んで、からだをこのように調《ちょう》和《わ》させてくださったのです。
1コリント 12:25 それは、からだの中《なか》に分《ぶん》裂《れつ》がなく、各《かく》部《ぶ》分《ぶん》が互《たが》いにいたわり合《あ》うためです。
1コリント 12:26 もし一つの部《ぶ》分《ぶん》が苦《くる》しめば、すべての部《ぶ》分《ぶん》がともに苦《くる》しみ、もし一つの部《ぶ》分《ぶん》が尊《たっと》ばれれば、すべての部《ぶ》分《ぶん》がともに喜《よろこ》ぶのです。
1コリント 12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各《かく》器《き》官《かん》なのです。
1コリント 12:28 そして、神《かみ》は教《きょう》会《かい》の中《なか》で人《ひと》々《びと》を次《つぎ》のように任《にん》命《めい》されました。すなわち、第《だい》一に使《し》徒《と》、次《つぎ》に預《よ》言《げん》者《しゃ》、次《つぎ》に教《き》師《ょうし》、それから奇《き》蹟《せき》を行《おこな》う者《もの》、それからいやしの賜《たま》物《もの》を持《も》つ者《もの》、助《たす》ける者《もの》、治《おさ》める者《もの》、異《い》言《げん》を語《かた》る者《もの》などです。
1コリント 12:29 みなが使《し》徒《と》でしょうか。みなが預《よ》言《げん》者《しゃ》でしょうか。みなが教《きょう》師《し》でしょうか。みなが奇《き》蹟《せき》を行《おこな》う者《もの》でしょうか。
1コリント 12:30 みながいやしの賜《たま》物《もの》を持《も》っているでしょうか。みなが異《い》言《げん》を語《かた》るでしょうか。みなが解《と》き明《あ》かしをするでしょうか。
1コリント 12:31 あなたがたは、よりすぐれた賜《たま》物《もの》を熱《ねっ》心《しん》に求《もと》めなさい。また私は、さらにまさる道《みち》を示《しめ》してあげましょう。