聖職者や牧師が最もよく受ける質問の一つに、「神は私にどう生きよとおっしゃっているのでしょうか?」というものがあります。誰もが、自分の運命を知りたいと思っています。神に背いた人やまだ神を知らない人は、星座占いや、亡くなった家族や誰それの魂と交信できると宣伝する怪しげな魔女や霊媒者を頼ったりします。でもそんなことをしなくても、神のみ声が聞きたければ、耳を澄ませばよいのです。そうすれば、神の声が聞こえるだけでなく、神が見えるようになります。油を注がれたメシア、私たちのために死んで復活された主イエスキリストは、神とつながる方法をちゃんと教えてくださっています。

その方法とは、教会に通ったり、毎月献金をしたり、他のクリスチャンと交わることではありません。もちろん、こうしたことは全てよい行いで、神を知る手がかりになります。でもイエスは山に集った群衆に向かって次のように説いています。

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」

(マタイ5:8)

毎日神に会いたいなら、生きる上で神の指示を仰ぎ、導きを受けたいなら、心を正しく持つことです。暴力的で、俗悪な世界と距離を置き、違う生き方を選ばなければいけません。

「だれが 主の山に登り得るのか。

だれが 聖なる御前に立てるのか。

手がきよく、心の澄んだ人

そのたましいをむなしいものに向けず

偽りの誓いをしない人。

(詩篇 24:3-4)

私たちが毎日祈りを捧げる理由、毎朝父なる神と交わる理由は、御心を知るためです。神の声を聞きたいなら、神と過ごす時間を大切にし、御声を聞き分けられるようにならなければいけません。そして、神の教えに合わせて自分の考えや言葉、行動を変えていかなければいけません。神のようになる努力をしなければいけません。神はきよらかで、崇高な存在です。私たちを取り巻く世界のように、汚れて腐敗していません。神のお傍に寄ることは、世界の穢れを落とす魂のシャワーを浴びるようなものです。神の声を聞きたいなら、神の近くにいくことです。そしてそのための唯一の方法が、心をきよらかに保つことなのです。探し求めれば、神は必ず見つかります。神に誉あれ!